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鉄道開業150周年企画⑤ 乗り鉄1年生の旅 大垣夜行編

 名古屋駅ビルの店で味噌カツを味わい、普通列車で大垣駅に向かう。大垣夜行は名古屋駅からも乗れるが、夏休みで乗客が多い時期なので名古屋駅からは乗れないかもしれない。始発の大垣駅から乗る予定でいた。普通列車で大垣駅に向かう。母は名古屋地区の普通列車が、2人掛けで進行方向に向きを変えられる座席であることに驚いていた。

 大垣では少し時間があったので、木の近くにある大垣城に行った。天守閣などは閉まっている時間だが、櫓や石垣などを見て大垣駅に引き返した。大垣駅には今夜の大垣夜行に乗る乗客が徐々に集まり始めた。私たちは交代で休憩をとりながら並んだ。私がプラットホームに並んでいる時に、熊本行きの寝台特急「みずほ」が猛スピードで通過していった。いつかあれに乗りたいと思った。

 22時少し前、緑色とオレンジ色に塗られた大垣夜行の電車が入ってきた。プラットホームに緊張が走る。それはそうだ、東京駅までは6時間40分以上かかる。座れるか座れないかは大きな問題である。座席に座って車内がす押し落ち着くと、大垣夜行は静かに大垣駅のホームを離れた。座席はほぼ埋まっている。乗客は旅行客だけでなく、帰宅を急ぐサラリーマンも多い。日常生活と非日常が同居する、それが大垣夜行の姿である。大垣夜行は大垣を発車すると各駅に停車する。夜行列車ではあるけれど、あくまでも普通列車の一員、かつては全国にこういう列車が走っていた。

 名古屋からは多くの乗客が乗ってきて、通路までいっぱいになった。お酒を飲んで帰る人も多いのか赤ら顔の乗客も多い。安城、岡崎と少し乗客が減り車内も静かになってきた。高田駅に停車した時に、「こんばんは、幸田シャーミンです」という声が聞こえてきた。その後蒲郡駅に停車した記憶がないから、幸田と蒲郡の間で眠ったのであろう。間もなく日付が変わろうとしていた。

 目が覚めると大垣夜行は長い鉄橋を渡っていた。遠くには道路が見え、たくさんのトラックが走っている。貨物列車とも何本もすれ違う。夜トラックや貨物列車を運転する人によって私たちの生活は支えられている。当然そんなことは知っていたが、こうやってみると実感できる。単なる知識は無味乾燥なものだが、実感を伴うと生き生きとしたものに変わる。しれにしても、行き交うトラックや貨物列車にともる灯りは美しい。後年、中島みゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」を聴いた時に思い浮かべたのが、大垣夜行から見た光景である。

 次に目が覚めたのが富士川の鉄橋を渡る時であった。そこからはもう眠れなくなり、三島と熱海の間にある丹那トンネルも、小田原駅で見える小田急の電車も全て見た。横浜駅の手前で薄明るくなった。川崎を過ぎ、多摩川の鉄橋を渡る時に、東側に太陽が見えた、真赤な真夏の太陽だった。今日も暑くなりそうだ。蒲田、大森、大井町と駅ごとに電車を待つ人の姿も見える。世界有数の大都市、東京の朝の始まりを実感する。1988年、日本が最も元気な時期の最も暑い季節のことだった。品川でだいぶ降り、私たちも荷物をまとめ始めた。

 4時46分、東京駅着、まだ眠いが降りなければならない。山手線や京浜東北線の電車はもう半分近く座席が埋まっている。私たちは東京駅でしばらく休憩し、洗面や着替えを済ませると総武快速線の電車に乗り込み、茂原、安房鴨川、館山と時計回りに房総半島を回り、浜金谷からフェリーで三浦半島の久里浜に渡った。その後、横須賀線に乗って品川駅で降り、山手線、常磐線と乗り継いで夕方いわきに戻った。こうして私の乗り鉄1年生が始まった。今でも時折思い出す楽しい旅になった。

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