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鉄道開業150周年企画② 我が思い出の急行「ときわ」水戸〜我孫子

 水戸駅は賑やかな駅だ。湯本からさほど大きな駅はなかったから、水戸駅の大きさと人の多さには驚いた。急行「ときわ」はここでほとんど席が埋まる。水戸駅を発車すると電気機関車や水郡線を走るディーゼル機関車が止まっている車両基地が見える。車両基地を過ぎるとまもなく右には日本三名園の偕楽園、左には水をたたえた千波湖、車窓から目を離すいとまもないほど楽しい車窓が続く。赤塚を過ぎると農村風景になる。あれだけ都会だった水戸駅周辺からの変化の大きさに驚く。

 友部で笠間や小山に至る水戸線が分かれると林や畑の混じった緩い丘陵地帯になる。関東平野と言っても必ずしも平坦であるばかりではなく、緩い丘陵地帯も結構あることを私は小学校低学年で知った。急行「ときわ」の車窓は教科書よりももっと早い時期に私に日本地理への関心を高めてくれた。石岡が近づくと筑波山が見えてくる。さほど高い山ではないが、周囲が平野か丘陵地帯なのでとても良く目立つ山である。何かと得をする場所に立っている山である。

 土浦が近づくと蓮根畑が増えてくる。今でこそ土浦周辺の宅地化が進んでいるが、私の子供時代はちょうど宅地化が進み始めた頃で、蓮根畑の多い場所という認識だった。それが1985年前後のつくば万博の頃から宅地化が急激に進んだ。土浦駅を発車する頃には急行「ときわ」は通路までいっぱいになった。流石に鉄道好きな私でも混雑はあまり好きではない。しかし、終点の上野まではあと1時間、車窓を眺めながら乗っていればさほどそんなに問題ではなかった。

 牛久、佐貫(現在の竜ヶ崎市)と駅周辺に住宅が建ち並んだ駅を通過する。水戸以北なら急行の停車駅になりそうだが、ここまで来れば普通列車でもさほどかからない、急行「ときわ」は軽やかに通過していく。湯本から上野までの行程で最もスピードが出るのはこの辺りだろう。平坦で比較的直線が長い。牛久駅と佐貫駅の間で国道66号と並走するが、もはや国道は渋滞が多く全く勝負にならない。こちらは全速力で駆け抜ける歓びを味わっていた。

 藤代を過ぎて田んぼの中にカップヌードルの工場が見えると急行「ときわ」はスピードを落とす。車内の照明を短時間消える。これは取手以北の交流電源と取手以南の直流電源を切り替えるためで、今なお続く常磐線に乗ると必ず避けて通れない関門のようなものだ。ただし最近は速度は落ちるものの車内の照明は消えなくなった。関東鉄道常総線とエメラルドグリーンの常磐線快速電車の快速電車が見えると取手駅である。子供の頃の私にとって、首都圏はどこからかと聞かれれば、取手駅からと答えた。エメラルドグリーンの快速電車は首都圏である象徴の一つだった。

 利根川を長い鉄橋で渡ると、天王台駅、そこからすぐに我孫子駅に着く。我孫子は上野の前最後の停車駅になる。現在は柏駅の重要性が増しているが、当時は我孫子駅の方が重要性が高かったようだ。そういえば時代が違うが山下清は働いていた駅弁屋はこの駅で営業していた弥生軒である。現在、弥生軒は駅弁の販売はしていないが、蕎麦屋の営業をしていて、唐揚げ蕎麦が名物になっている。

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