伝説のバイプレイヤー
和製英語だが、バイプレイヤーという言葉がある。日本語で言うと脇役になるが、単なるちょい役ではなく、とはいって主役の邪魔をする訳でもない。もちろん敵役でもない。しかし、その人がいることで組織がより活性化したり、より良い作品になる。そう言う存在の人は組織や作品にとって非常に大切な人ということになる。
1980年年代の子どもたちにとって、土曜日の20時はTBSテレビの「8時だヨ、全員集合!」の時間だった。志村けん、加藤茶、いかりや長介、高木ブー、そして仲本工事のドリフターズの5人とゲストたちのコントが主な内容だった。PTAなどからしばしば有害番組と呼ばれながらも、多くの子どもたちに楽しい時間を届け続け、驚異的な視聴率を記録した番組である。この番組で最も強い光を放っていたのが志村けん、彼はストイックすぎるほどストイックに人を笑わせることに取り組んだ努力の人、ついで加藤茶、彼は間の取り方などが天才的だと言われていた。時に志村を凌駕する人気を博すこともあった。そして、いかりや長介、彼らのリーダーとして、時に番組の進行を、そしてコントの内容などを中心的に作り上げた人。高木ブーはいかりや長介の言葉を借りれば明日地球が滅びようとも変わらない強烈な個性を持った人。存在するだけで面白い人であった。そして最後の仲本工事、体操など彼独自のすごさは子供の私にもわかったが、どちらかというと、志村や加藤の脇役的な存在と理解していた。
大人になって、改めて彼らのコントを見ると、仲本工事の凄さに気づいた。普段は志村や加藤の立場から一歩下がった立場にいるが、彼らのコントを面白くしているのは仲本工事の功績が大きいのだ。ドリフターズのコントは基本的には言葉ではなくアクション。体操が得意な仲本はまさにそのアクションが素晴らしい。ドリフターズのコントに幅を広げたのは彼の功績だと言うべきだろう。その功績は誰に劣ることもない、伝説のバイプレイヤーというべきだろう。
思わぬ形でこの世を去ることになった仲本工事さん、心よりご冥福をお祈りします。
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