2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

« 鉄道開業150周年企画⑤ 乗り鉄1年生の旅 大垣夜行編 | トップページ | 鉄道開業150年記念企画⑦ 1992年夏、北へ »

鉄道開業150周年企画⑥ 1992年の仙山線

 1992年4月、私は仙台市にある大学に入学した。アパートは仙山線の線路沿いにある2階建てのものだった。さほど特徴があるアパートではなかったが、私には非常に気に入っていた点があった。それは、アパートの裏の崖の下に仙山線の線路があったことである。列車の走行音は、鉄道が好きではない人にとっては騒音なのかもしれないが、好きな者にとっては至高の音であった。

 仙山線は仙台駅と山形駅を結ぶ鉄道路線である。仙台市と山形市は県庁所在地同士ではあるが、双方の市街地同士は50kmほどしか離れておらず、買い物や通勤、通学など日常的なつながりは深い。それに加えて、仙台市の人口増加で、仙山線沿線の人口も増加し、1984年から1991年にかけて、仙台市内の仙山線に、東照宮、北山、国見、葛岡の4駅が新設された。

 私がここに住み始めた時期は、2つの理由で仙山線が最も忙しい時期になった。1つ目の理由は、先述した仙台市の人口増加による需要の増加で、新駅の開設や列車の増加が行われていた。とくに仙台市街地の北西部にあたる国見駅、陸前落合駅、愛子(あやし)駅周辺の市街化は急速で、それまでのんびりとしたローカル線だった仙山線は、仙台〜愛子間を中心に列車の増発が行われ、急速に都市型の路線の変貌した。もうひとつは、山形新幹線の開業である。従来、秋田や横手、新庄、山形、米沢の人が東京に行くには、特急「つばさ」か奥羽本線普通列車に乗り、福島で東北新幹線に乗ることが一般的であったが、山形新幹線の工事が本格化した1991年8月からは、奥羽本線福島〜山形間を運休してバス代行した。このため、特急「つばさ」は、山形から仙山線に入り、仙台駅で東北新幹線に接続するようになった。これに加えて、仙台駅と山形駅を結ぶ快速列車も多数運転され、仙山線の線路はお祭り騒ぎのような状態になった。

 1992年7月、山形新幹線が開業し、特急「つばさ」は、山形新幹線の列車名になり、仙山線からは消えていったが。それでも仙山線は寂しくなるどころか、活気があった。仙台都市圏の普通列車はますます活況を帯びていたし、夜には夜行の急行「津軽」が仙山線の線路を走った。急行「津軽」は、上野から、宇都宮、福島、仙台を経て、仙台から仙山線に入り、山形、新庄、横手、秋田、大館、弘前を経て青森を結ぶ長距離列車で、非常に歴史の長い列車である。青森行きの下り列車は午前4時過ぎにアパート裏の仙山線を通っていたから見る機会はなかったが、上野行きの上り列車は夜ふかしした日は姿を見たことがあるし、目が覚めた時に走行音を聞くこともあった。そういう時には無性に旅に出たくなった。だって、すぐ裏は線路で、線路の先にはまだ見ぬ町が待っている。

 朝も列車の走行音で目を覚ました。5時40分過ぎの仙台行きの始発列車では目を覚まさないが、3本目の6時20分過ぎの山形行きで目を覚ます。そんな生活が4年間続いた。鉄道は時間に正確だからできることだろうと思う。

 4年間の学生生活を終え、仙台市を離れる時にも同じように列車は走っていた。卒業後何回か当時住んでいたアパートに行ってみた。アパートはすっかりきれいになっていたが、仙山線の列車は同じように走っていた。

« 鉄道開業150周年企画⑤ 乗り鉄1年生の旅 大垣夜行編 | トップページ | 鉄道開業150年記念企画⑦ 1992年夏、北へ »

旅行・地域」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鉄道開業150周年企画⑤ 乗り鉄1年生の旅 大垣夜行編 | トップページ | 鉄道開業150年記念企画⑦ 1992年夏、北へ »

フォト
無料ブログはココログ

ウェブページ