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2022年11月の5件の記事

高齢ドライバー事故を減らす為に

 最近、高齢ドライバーによる事故のニュースを毎日のように耳にするようになった。私が住む福島県でも、97歳の高齢ドライバーが歩行者の40代女性をはね、死亡させるといういたましい事故が起きた。事故当時、車は歩道を30〜40km/hほどで走っていたようだ。

 私はこのような事故を減らすために、国や警察がするべきこと、自動車メーカーがするべきこと、私たち国民がするべきことを考えてみた。このうち、今回は国や警察と自動車メーカーが行うべき対策について考えてみた。

 まず国や警察についてであるが、車は私たち一般市民が使うことが許されているものの中で最も危険なものの一つとも言えるだろう。高齢者には高齢者講習や実技試験、認知機能検査などが導入されたが、高齢者の認知機能や運動機能の衰えは予想よりも早いことがある。現在3年間の免許証の有効期間の短縮を検討してほしい。合わせて、今よりもスピードが出ない車の免許制度創設も考えてほしい。具体的には、最高速度45km/h以下、加速も今の車の半分程度、今の軽自動車よりも一回り小さいボディサイズでどうだろうか。今や軽自動車といえども100km/h以上平気で出るようになってきた。そうなると、高齢者にとっては性能過剰になっているのではないだろうかと思う。速度や加速が遅ければ、それだけ事故による衝撃を少なくすることができるし、誤った操作を修正する時間的余裕を持つことができる。普通自動車や軽自動車を運転するには厳しいが、これなら運転できるという人もいるだろう。高齢者の移動手段を確保するためにも検討する価値はあると思う。

 次に、自動車メーカーについては、車を設計するにあたって、人に優しいデザインを優先してほしい。最近の交通事故では、アクセルペダルとブレーキペダルの踏み間違えによる事故が多いとされる。アクセルペダルは車を発進・加速させるためのペダル、ブレーキペダルは減速・停止させるためのペダルだが、どちらのペダルも踏み込むことによって操作するものである。全く違う働きをするものが同じ操作で動くというのは多くのドライバーにとってはさほど問題がないものの、運動機能や認知機能が落ちたドライバーにとっては踏み間違えを誘発する原因になると思う。人間は異常事態に遭遇した時に、咄嗟に筋肉を硬直させてしまう。ブレーキを踏もうと思ってアクセルペダルを踏んでしまった場合は、速度が急加速してしまうので、意図せぬ加速でさらに硬直してブレーキへの踏み替えが出来なくなってしまうようだ。そのような事故を防ぐインターフェイスの開発に期待したい。また、私が先ほど提案した、軽自動車よりも遅く、小さい車も是非検討してほしい。高齢化は日本に限らず、絵界的に急速に進みつつあり、近い将来、大きなビジネスになると思う。電気自動車(EV)で出遅れつつある日本のメーカーにとっては経営の柱にもなりうると思う。

ボールは血塗られたか?

 カタールでは、サッカーのワールドカップが始まったが、衝撃的なニュースが入ってきた。

 スタジアムの建設現場や周辺インフラ設備工事では、40度を超える暑さと過酷な労働で多くの命が失われた。英ガーディアン紙の調査によると、移住労働者の死亡者数は6500人を超えるという。(オルタナ・yahooニュース)

 事実だとすると言葉を失うくらい酷い話だ。カタールは石油や天然ガスの産出で豊かな国だ。スタジアムなどの工事は貧しい国の人々が携わっている。その人々の生命が軽視されているとしたら絶対に許されない。

鉄道、これからに向けて

 今年は鉄道開業150周年という記念すべき年でした。それに伴い、各鉄道会社では様々なイベントが行われました。それらのイベントは概ね好評で、いわゆる鉄道ファンだけでなく、家族連れ、高齢者、そして子どもたちなど、多くの人が訪れたようです。今年は西九州新幹線、武雄温泉〜長崎間の開業がありました。長崎は観光地として非常に魅力あるところです。多くの人が長崎を訪れて長崎の観光、経済の一層の発展に期待したいと思います。また、2011年の洪水で鉄橋などが流されて運休が続いていた、10月に運転再開し、臨時列車を増発するなど大盛況だという。先日は宇都宮のライトレールが試運転を開始した。宇都宮駅東口から市街地東部の商業地帯、学校、住宅地、そして日本有数の内陸工業団地を結ぶもので、過度な自家用車依存が交通渋滞を引き起こした地方都市で、ライトレールが受け入れられるか注目される。

 もちろん明るい話題だけではない。新型コロナウイルス感染症の蔓延が続き、ビジネス需要も観光需要も低迷し、鉄道各社は我慢の経営を強いられている。これまで頼りの綱であった通勤・通学需要も減少している。地方路線では人口が減少することで加速度的に利用者が減少しているところもある。利用者の減少は即路線の存廃に関わる危機につながる。

 とはいえ、鉄道をはじめとする公共交通は今後の必要だ。人間は移動する生物である。遠くへの引っ越し、旅行、から近場への通勤、通学、買い物、通院。どんなにオンラインでできることが増えても人間が家から一歩も外に出なくなることは考えにくい。そして、高齢者の免許返納者も増えるし、免許を持たない外国の人、経済的理由で免許を持たない、あるいは自家用車を持たない人も多い。

 そして何より、鉄道の強みは2つの安心感だろう。ひとつ目の安心感は、他の交通機関では難しい高い安全性だろう。最近の車は安全になったとはいえ、鉄道の安全性とは大きな開きがある。もうひとつは線路や駅が簡単には無くならない、地図に載っているという安心感だろう。バス路線と違って簡単には廃止できないことと、線路や駅は地図に乗るし、駅は今だに町の中心部になっていることが多い。

 これからの鉄道会社に期待したいのは、何よりも安全な鉄道運行。ついで、人と地球環境にやさしい鉄道であること。子どもも高齢者も、障がいのある人も、外国の人もみんなが利用しやすい鉄道であってほしい。その上で乗って楽しい列車を走らせてほしい。私もこのブログ上で鉄道で働く人を応援したり、鉄道旅行の楽しみを紹介したりしたい。次の150年後もみんなに愛される鉄道であってほしい。

鉄道開業150周年企画⑩ 2006年11月 銚子電鉄奮闘する

 「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」悲鳴のような言葉は多くの人の心を動かした。たちまち銚子電鉄の電車に乗る乗客はうなぎ登り、副業で行なっている(こちらの方が売上が多いので、こちらを本業とする見方もあるが)ぬれ煎餅玄米揚げ餅などの菓子類も飛ぶように売れ、捌ききれないほどの注文が殺到した。私も売上が一段落した翌年正月明けにぬれ煎餅と玄米揚げ餅を通販で購入した。

 銚子電鉄は千葉県の銚子市にある銚子駅から外川駅までの6.4kmを結ぶささやかな規模の鉄道である。JR総武本線の終点である銚子駅の隅っこを曲がりして遠慮がちに電車が発着している。ここから、漁業と醤油の町である銚子の市街地を走り、犬吠埼近くの犬吠駅を経て、小さな港町がある外川駅を結ぶわずか6.4kmの鉄道である。主なお客は沿線の高齢者と学生、それと犬吠埼を目指す観光客。

 かつては沿線にある醤油工場の製品輸送で賑わった時代もあったようだが、やがて醤油の輸送はトラックに代わった。戦後は千葉交通の傘下に入ったが、1990年、同じ千葉県内にあった内野屋工務店の傘下になった。1998年に内野屋工務店が自己破産したが、その後も内野屋工務店出身者が経営をした。しかし、その経営者による横領が発覚し、経営者の解任、逮捕という事態に発展した。これをきっかけに元々振るわなかった銚子電鉄の業績は悪化し、ついに電車の修理代にも事欠くようになった。

 元々、銚子市の人口は減少だったことに加え、銚子電鉄沿線は道路が狭く、坂が多く、車の使用には向いていなかったこともあり、沿線の人口も低迷していた。そのことから、銚子電鉄は1976年に鯛焼き屋を開店させたり、1995年には銚子特産の醤油を使ってぬれ煎餅の製造・販売に乗り出すなど、関連事業に力を入れていた。それでも、経営者の横領という犯罪行為が発覚した以上、信用は失墜し、電車の修理代にも事欠くようになったなってしまった。その結果が、「電車の修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」だった。

 しかし、その時点で内野屋工務店出身の経営陣を追い出し、会社は鉄道事業の存続に向けて、まさに捨て身の作戦に出た。この姿勢が多くの人の心を動かしたのだと思う。そして、銚子は観光地としての魅力があった。犬吠埼だけではなく、外川の港町も風情があっていい。銚子の魚は美味いし、ぬれ煎餅や玄米揚げ餅も美味いし、鉄道会社が作る名物菓子として話題性がある。新しい経営陣は、何とか鉄道を残せると踏んだのであろう。

 そこからの銚子電鉄はありとあらゆる生き残り策をとった。人気ゲームソフト、「桃太郎電鉄」を制作するバンダイとコラボし、ゲームに出てくるキャラの石像を設置した。駅のネーミングライツを販売したり、テレビ番組に出たりした。極め付けは、不味い棒と鯖威張る弁当だろう。不味い棒は駄菓子として知られる、うまい棒に似た製品で、名前に反して味は美味い。不味いのは経営状態ということだろう。鯖威張る弁当とは、サバの炊き込みご飯の上に、大きな焼き鯖が乗った弁当で、こちらはまだ食べていないが、美味しそうな弁当である、名前は、もちろん、鯖と会社の生き残りをかけたさばいばる。若干親父ギャグと自虐的なところが気になるが、美味い名前だと思う。最近はユーチューバとコラボしたりと、話題作りに余念がない。この会社がこれからも生き残りのために奮闘する姿を応援したい。

鉄道開業150周年企画 2002年8月⑨ 寝台特急「さくら」の旅

 夏の日差しも傾く頃、私は東京駅にいた。これから乗るのは長崎行きの寝台特急「さくら」、いわゆるブルートレインの代表格の列車である。駅弁、ビール、おつまみ、そして翌朝の朝食のために、菓子パンやコーヒを買った。「さくら」という名称は、国鉄が1929年に、東京〜下関の特急列車につけた歴史ある名称で、戦後は一貫して東京〜長崎の寝台特急に用いられてきた。しかし、この時点でブルートレインのは既に縮小体制に入っており、既に食堂車の営業をやめていた。ちなみに2005年に寝台特急「さくら」は廃止になったが、現在は九州新幹線の列車名として復活している。

 東京駅のプラットホームに長い編成の寝台特急「さくら」が停まっていた。ロイヤルブルーの車体には疲れも見えたが、それでもなお美しく整備されていて気持ちがいい。私が予約したのはB寝台、昔ながらの二段ベッドが向かい合わせに並んでいる車両である。私は下段のベッドに座る。向かいに一人旅の同じくらいの年齢の男性が座る。軽く会釈をするとその方も会釈を返す。そうしているうちに発車時刻になった。ゆっくりと東京駅のプラットホームを離れた。右側には山手線や京浜東北線の電車、左側には東海道新幹線の電車、どちらも日常の延長線のようなものだけど、私が乗っている寝台特急「さくら」は非日常の塊、どちらかを選べと言われたら、旅には非日常的な乗り物の方がいいと思う。いや、新幹線の速さや便利さは認めるし、私も何度も利用しているが。

 品川を過ぎると、「さくら」の速度が上がる。多摩川を渡り、赤い京浜急行の電車と並走すると、横浜に着く。向かいに座った男性は文庫本を広げて読み始めた。私もバッグの中には文庫本が何冊もあるし、それもいいのだが、なんとなく人恋しいので、ロビーカーに行くことににした。ロビーカーとは、ソファーが置いてあって、乗客が自由に景色を楽しんだり、歓談を楽しむことができる車両である。私はソファーに座って車窓を見ていたら、3人組の男女に声を掛けられた。3人はビールや弁当、おつまみを広げていて、楽しそうに話していた。しかも、楽しく話していてもうるさ過ぎないのがいい。私は寝台車に戻り、ビールと駅弁とおつまみを持ってきて話の中に加わった。

 話をしてみると、3人組ではなく、それぞれ1人で「さくら」に乗っている人だった。旅行に行く人もいれば、帰省するために乗っている人もいる。私も含めると、男性は3人、女性は1人、年齢は私が一番若かった。みんな寝台特急に乗る経験は豊富なようで、私は少し昔の寝台特急事情など色々なことを教えてもらった。私もこれまで行った旅先の話などを話した。幸いロビーカーには飲み物の自動販売機があり、ビールも売っていたので、話が弾むのに応じてビールの缶も次々と空いていった。 

 気が付けば3時間近く話し込んでいたらしい。21時30分、浜松に着いたのを機にお開きにすることにした。名残惜しいが、これ以上遅くなると他の乗客の迷惑にもなる。テーブルの上をきれいに片付けるとそれぞれの旅の無事を祈る言葉をかけながらそれぞれの寝台車に戻った。あまり広い寝台ではないが、ビールの力もあり、たちまち眠ってしまった。

 次の朝は5時20分、広島到着の寸前だった。広島の街並みや宮島の景色を楽しんだ後、もう一度ロビーカーに行ってみた。ロビーカーに人はたくさんいたが、昨夜一緒に飲んだ人たちはいなかった。その後も下関に着く直前にも行ってみたがその頃には乗客もほとんど降りてロビーカーにはほとんど人はいなかった。関門トンネルを抜け、九州に入った。小倉を過ぎると北九州工業地帯に入る。車内には昼下がりのような気だるい空気が漂ってきた。寝台に横になり、博多駅に着いたことには気づかなかった。目が覚めたのは鳥栖駅に停車中だった。長崎本線に入り、肥前山口を過ぎると海に沿って走る。山が間近に迫っていてカーブが多く、「さくら」の速度が落ちる。長崎には13時過ぎに着いた。19時間の旅が終わった。景色もいいし、列車もいい、それ以上にあの1夜の出会いが素晴らしかった。旅の醍醐味はいろいろあるが、人との出会いや会話もその一つだと思う。本当に素晴らしい旅だった。

 

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