鉄道開業150周年企画 2002年8月⑨ 寝台特急「さくら」の旅
夏の日差しも傾く頃、私は東京駅にいた。これから乗るのは長崎行きの寝台特急「さくら」、いわゆるブルートレインの代表格の列車である。駅弁、ビール、おつまみ、そして翌朝の朝食のために、菓子パンやコーヒを買った。「さくら」という名称は、国鉄が1929年に、東京〜下関の特急列車につけた歴史ある名称で、戦後は一貫して東京〜長崎の寝台特急に用いられてきた。しかし、この時点でブルートレインのは既に縮小体制に入っており、既に食堂車の営業をやめていた。ちなみに2005年に寝台特急「さくら」は廃止になったが、現在は九州新幹線の列車名として復活している。
東京駅のプラットホームに長い編成の寝台特急「さくら」が停まっていた。ロイヤルブルーの車体には疲れも見えたが、それでもなお美しく整備されていて気持ちがいい。私が予約したのはB寝台、昔ながらの二段ベッドが向かい合わせに並んでいる車両である。私は下段のベッドに座る。向かいに一人旅の同じくらいの年齢の男性が座る。軽く会釈をするとその方も会釈を返す。そうしているうちに発車時刻になった。ゆっくりと東京駅のプラットホームを離れた。右側には山手線や京浜東北線の電車、左側には東海道新幹線の電車、どちらも日常の延長線のようなものだけど、私が乗っている寝台特急「さくら」は非日常の塊、どちらかを選べと言われたら、旅には非日常的な乗り物の方がいいと思う。いや、新幹線の速さや便利さは認めるし、私も何度も利用しているが。
品川を過ぎると、「さくら」の速度が上がる。多摩川を渡り、赤い京浜急行の電車と並走すると、横浜に着く。向かいに座った男性は文庫本を広げて読み始めた。私もバッグの中には文庫本が何冊もあるし、それもいいのだが、なんとなく人恋しいので、ロビーカーに行くことににした。ロビーカーとは、ソファーが置いてあって、乗客が自由に景色を楽しんだり、歓談を楽しむことができる車両である。私はソファーに座って車窓を見ていたら、3人組の男女に声を掛けられた。3人はビールや弁当、おつまみを広げていて、楽しそうに話していた。しかも、楽しく話していてもうるさ過ぎないのがいい。私は寝台車に戻り、ビールと駅弁とおつまみを持ってきて話の中に加わった。
話をしてみると、3人組ではなく、それぞれ1人で「さくら」に乗っている人だった。旅行に行く人もいれば、帰省するために乗っている人もいる。私も含めると、男性は3人、女性は1人、年齢は私が一番若かった。みんな寝台特急に乗る経験は豊富なようで、私は少し昔の寝台特急事情など色々なことを教えてもらった。私もこれまで行った旅先の話などを話した。幸いロビーカーには飲み物の自動販売機があり、ビールも売っていたので、話が弾むのに応じてビールの缶も次々と空いていった。
気が付けば3時間近く話し込んでいたらしい。21時30分、浜松に着いたのを機にお開きにすることにした。名残惜しいが、これ以上遅くなると他の乗客の迷惑にもなる。テーブルの上をきれいに片付けるとそれぞれの旅の無事を祈る言葉をかけながらそれぞれの寝台車に戻った。あまり広い寝台ではないが、ビールの力もあり、たちまち眠ってしまった。
次の朝は5時20分、広島到着の寸前だった。広島の街並みや宮島の景色を楽しんだ後、もう一度ロビーカーに行ってみた。ロビーカーに人はたくさんいたが、昨夜一緒に飲んだ人たちはいなかった。その後も下関に着く直前にも行ってみたがその頃には乗客もほとんど降りてロビーカーにはほとんど人はいなかった。関門トンネルを抜け、九州に入った。小倉を過ぎると北九州工業地帯に入る。車内には昼下がりのような気だるい空気が漂ってきた。寝台に横になり、博多駅に着いたことには気づかなかった。目が覚めたのは鳥栖駅に停車中だった。長崎本線に入り、肥前山口を過ぎると海に沿って走る。山が間近に迫っていてカーブが多く、「さくら」の速度が落ちる。長崎には13時過ぎに着いた。19時間の旅が終わった。景色もいいし、列車もいい、それ以上にあの1夜の出会いが素晴らしかった。旅の醍醐味はいろいろあるが、人との出会いや会話もその一つだと思う。本当に素晴らしい旅だった。
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