人気ブログランキング 「どうする家康」と磐城平藩: やえもんのひだまりカフェ
2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    

« ウミガメさんと考える自動車産業 | トップページ | 磐城平城を歩く »

「どうする家康」と磐城平藩

 今年のNHK大河ドラマは「どうする家康」である。ご存じ徳川家康の生涯を描いた作品である。徳川家康は愛知県の岡崎に生まれ、幼少期には駿府(現在の静岡市)で今川家の人質生活を送り、今川義元が織田信長に桶狭間の合戦で敗れて以降は今川家から自立し、織田信長との同盟関係をもとに東海地方に勢力を広げ、織田信長に代わり天下人となった豊臣秀吉とは一時対立するものの、のちに和解して、江戸城を築き、江戸の町の発展させた。豊臣秀吉の死後は、関ヶ原の合戦で勝利し、江戸幕府を開き、晩年には大阪に残った豊臣秀頼を滅ぼして江戸幕府の地位を安泰にした。と、駆け足で徳川家康を紹介するとこんなふうになるだろう。徳川家康のすごいところは、彼自身の能力、忍耐力もさることながら、家康を支えた強力な家臣団だろう。百姓から出世を果たし、天下人になった豊臣秀吉からすると、喉から手が出るほど欲しい家臣団だったのだろうと思う。これだけ強力な家臣団が存在した理由は、三河国の小さな領主であった徳川家の歴代の当主が家臣団を育ててきたことと、時川家康その人にそれだけの魅力があったからだろうと思う。数少ない欠点であるケチなことを除いては。

 徳川家康を支えた人物に、鳥居元忠という武将がいる。家康より3歳歳上で歳も近い。家康が今川氏の人質であった頃から仕えていた最も信頼できる家臣のひとりであった。武田氏や北条氏との戦いで功績をあげ、家康が江戸の城主となると、下総国矢作城(現在の千葉県香取市)を与えらえ、4万石の大名になる。北関東や東北の大名から江戸を守る重要な任務を任せれた。1600年、豊臣井秀吉の死後、家康が会津の上杉景勝討伐の兵をあげた時には、京都の伏見城にわずかな兵と共に留守居役をした。その時、石田三成らは伏見城を攻め、鳥居元忠らは奮戦したものの討ち死にした。その後起きたのは天下分け目の関ヶ原の合戦である。関ヶ原の合戦の後、家康は鳥居元忠の子である鳥居忠政を磐城平藩10万石の大名に取り立てた。ケチで知られる徳川家康が4万石から10万石への加増は大盤振る舞いであるが、これも、伏見城で戦死した鳥居元忠の功績を称えてのことだろう。

 戦国時代、いわき市には岩城氏という戦国大名がいた。岩城氏は現在の好間と内郷の境にある大館城を根拠としていたが、鳥居忠政は新たに平城を築いた。今回はこの城と、忠政が父である元忠のために建てた長源寺を歩いてみようと思う。

« ウミガメさんと考える自動車産業 | トップページ | 磐城平城を歩く »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ウミガメさんと考える自動車産業 | トップページ | 磐城平城を歩く »

フォト
無料ブログはココログ

ウェブページ