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2023年2月の5件の記事

冬の寒さに耐えて

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近くのお寺にいった。いつの間に梅が青空の下きれいに咲いていた。梅は冬の寒さに耐えて花を咲かせます。人生だっていつまでも冬じゃない。冬の寒さは青空の下、花を咲かせるためにあります。

今、辛い状況にある人、孤独に苦しむ人、病気を抱えた人がたくさんいます。少し楽天的に考えて、春が来るのを待ちましょう。そしてあなただけの花を咲かせてください。

イノベーター理論とBEV

 社会学にイノベーター理論というものがある。新しい商品やサービスが市場に登場すると、まずは、「イノベーター」と呼ばれる人々に受け入れられる。この層は商品に良し悪しにかかわらず、新しいものに価値を見出す人々である。イノベーターはだいたい人口の2.5%である。次いで「アーリーアダプター」と呼ばれる人々に受け入れられる。この層は流行に敏感で、これから普及しそうな商品に目をつけ、良いと感じたら購入する層である。アーリーアダプターはだいたい人口の13.5%である。次いで「アーリーマジョリティ」と呼ばれる人に受け入れられる。この層は、アーリーアダプターの影響を受け、流行に乗り遅れることを恐れて比較的早く購入する層である。アーリーマジョリティはだいたい人口の34%である。次いで、「レイトマジョリティ」とよばれる人々に受け入れられる。この層は、新しい商品やサービスには消極的で、周囲の半数が購入してから自分んが購入することを検討する。レイトマジョリティはだいたい人口の34%である。最後に「ラガード」とよばれる人にうけいれられる。この層は、保守的で新商品には興味関心がなく、受け入れたくないと考える人々である。ラガードと呼ばれる人々は、だいたい人口の16%である。

 スマートフォンの普及率でいうと、2010年は4.4%で、イノベーターとアーリーアダプターのごく一部が保有していたに過ぎないが、翌2011には21.1%に達し、アーリーアダプターからアーリーマジョリティへの普及が始まった。2015年には51.1%になり、アーリーマジョリティからレイトマジョリティへの普及段階に入った。この時期になると、携帯電話ショップからガラケーの姿が減り、スマートフォンに消極的だった人も購入するようになってきた。2020年には88.9%、もはやラガードと呼ばれる人々もスマートフォンを所有するようになった。

 日本にスマートフォンが登場したのは2005年、はじめて店頭でスマートフォンを目にした私は、こんな画面しかないもの、使いにくそうだし、一生買うことはないだろうと思っていた。しかし、2008年、iPhoneが日本でも販売開始されると、職場にも早速買った人が出て(イノベーターですね)少し、興味を持った。結局私がiPhoneを購入したのが2010年、携帯電話を購入したのは遅く、レイトマジョリティだったが、スマートフォンに関してはアーリーアダプターになった。

 2023年1月の、登録車、軽自動車のうち、BEV(バッテリー電気自動車)の割合が、2.7%に達した。2022年1月が0.7%であったから、3倍以上に達したことになる。それ以上に大きいのが、BEVが徐々にイノベーターの人々だけではなく、アーリーアダプターの人々にも徐々に選択肢に入るようになってきたことが考えられる。イノベーターの人は、商品の欠点があっても新しい商品であることに価値があるからいいが、アーリーアダプターに人まで普及が始まるとそこからが本当の勝負だと思う。そして、普及率が16%、つまり、イノベーター、アーリーアダプターに行き渡り、アーリーマジョリティへの普及が始まると普及は一気に進むようになる。世界的にみれば中国はその段階に入ってきた。日本の場合はどうなるか。BEVは注目すべき存在であると思う。あ、水素エンジン車、そんなのもありましたか。で、シェアは?

磐城平城を歩く 2

 本丸跡を出て、狭い道路を西へ進む現在は閑静な住宅地になっている。ここで、磐城平城の立地条件を改めて確認してみる。磐城平城の北と東には夏井川と好間川が流れ、橋さえ壊してしまえば防御に有利な地形になっている。南には平地が広がり、ここに城下町があり、現在のいわき市の中心市街地があった。その南には新川が流れ、やはりここも防御の拠点だったと思われる。西は磐城平城から続く丘陵地帯で、飯野八幡宮のほか寺社が多く、さらに西には戦国時代に岩城氏の居城であった大館城がある。磐城平城と大館城を比べると、防御の面でも、城下町の発展という点でも磐城平城が断然有利で、1600年に石城氏の当主岩城貞隆は関ヶ原の合戦への不参加を理由に所領を没収され、代わりに鳥居忠政がいわき地区の大名になったが、岩城氏時代の大館城を改修して使うという手もあったが、長期的な発展を考え磐城平城を築いたのだろうと考える。今の磐城平城周辺に城下町の面影は少ないが、それでも大工町や紺屋町などの地名が残り、ここが城下町であったことを伝えている。

 国道399号の切り通しが見えると磐城平城は終わりである。かつて国道は堀であった。その向こうには飯野八幡宮がある。磐城平城は北と東と南に川がありそこで防御ができるが、西には小高い丘陵があるだけだが、寺社があればそう簡単には攻めてこれない。東大寺の大仏を焼き払った松永久秀のような例外はいるが。これはうまい配置だと思う。ここから引き返し、再び城跡を歩く。しばらく歩くと磐城桜ヶ丘高校の校舎が見える。高校の敷地に沿って進み、校庭が途切れるところまでがかつての磐城平城である。そこを過ぎるとすぐに寺が見える。この寺が長源寺といい、鳥居忠政が父である鳥居元忠をはじめ、鳥居家の菩提寺として建てた寺である。お寺の中に入ると、いくつかいくつか古い墓石があったが、どれが鳥居元忠の墓か特定することはできなかった。そして思いがけずに恩師の墓も見つけてしまった。心配ばかりかけた不肖の生徒ですが、今こうして頑張っていますと報告をした。

 寒いけれど太陽の光は強い日だった。鳥居元忠の墓は見つけることはできなかったが、満足した。さあ、歴史散歩はこのくらいにしてまた令和の世に戻ろう。

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ひめか引退

https://twitter.com/himeka_art/status/1624010847277416449?s=46&t=iiwkjxFsusuyUKH1SwSMxQ

女子プロレス、スターダムのひめか選手が引退を決断。まだまだ伸び代のある選手なので残念ですが、やり切った上での決断だと思います。まだ若いひめか選手のこれからの健康と幸せを祈ります。

人とクルマの新しい付き合い方を探る

 今から30年近く前の話であるが、私が仙台の大学に通っていて、盆と年末に帰省するときには、大体仙台を14時30分か15時15分の電車で帰る。そうすると、3時間弱で実家最寄りの駅に着く。そこから実家までは2kmちょっと、歩いて25分くらいの道のりである。暑かったり、暗くなっていたり、雨が降っている時期にはバスを使うこともあるが、実家最寄りのバス停までバスで6分、そこから歩いて6分の道のりでsる。便利で快適なものである。しかし母はそんな私の行動が理解できないようだった。

 母は典型的な田舎の人でかつクルマ中毒患者だった。実家から駅までに2kmもクルマで行くのは当たり前、バスの利用や徒歩など考えも及ばなかったのだろう。私にしてみれば、夕方の忙しい時間実家から駅までクルマで迎えに行けば20分も浪費するし、そのために無駄にガソリンを使って排ガスを撒き散らす必要はない。しかし地方はいまだにクルマ中毒患者が多いようで、雨が降ると市内の高校の周辺は子どもの送り迎えの車で大いに混雑する。子どもと言っても高校生なのだし、病気や怪我で歩行が困難ならともかく、むやみやたらと送迎するのはちょっとどうかと思う。

 2022年3月から、自動車の広告に、「短距離移動には、徒歩や自転車を優先利用しよう』、「相乗りを考えよう」、「毎日の移動は公共交通機関を利用しよう」のうち、ひとつのメッセージを入れることが義務付けられた。私もこれは大賛成だ。

 クルマは非常に素晴らしいものだ。いつでも、好きなところへ、他人にわずらわされず速やかに移動することができる。その一方で、環境への負荷は大きい。道路などインフラ整備には多額の金額がかかる。いわば贅沢な乗り物だと思う。もちろん、EVやPHEVなどのエコカーに乗れば環境負荷を低減することは可能だが、それでも徒歩や自転車、バスや鉄道には敵わない宿命を持つ。それなら、必要以上にクルマを使うことを減らしていくことが大切なのだと思う。

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