人気ブログランキング 人とクルマの新しい付き合い方を探る: やえもんのひだまりカフェ

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人とクルマの新しい付き合い方を探る

 今から30年近く前の話であるが、私が仙台の大学に通っていて、盆と年末に帰省するときには、大体仙台を14時30分か15時15分の電車で帰る。そうすると、3時間弱で実家最寄りの駅に着く。そこから実家までは2kmちょっと、歩いて25分くらいの道のりである。暑かったり、暗くなっていたり、雨が降っている時期にはバスを使うこともあるが、実家最寄りのバス停までバスで6分、そこから歩いて6分の道のりでsる。便利で快適なものである。しかし母はそんな私の行動が理解できないようだった。

 母は典型的な田舎の人でかつクルマ中毒患者だった。実家から駅までに2kmもクルマで行くのは当たり前、バスの利用や徒歩など考えも及ばなかったのだろう。私にしてみれば、夕方の忙しい時間実家から駅までクルマで迎えに行けば20分も浪費するし、そのために無駄にガソリンを使って排ガスを撒き散らす必要はない。しかし地方はいまだにクルマ中毒患者が多いようで、雨が降ると市内の高校の周辺は子どもの送り迎えの車で大いに混雑する。子どもと言っても高校生なのだし、病気や怪我で歩行が困難ならともかく、むやみやたらと送迎するのはちょっとどうかと思う。

 2022年3月から、自動車の広告に、「短距離移動には、徒歩や自転車を優先利用しよう』、「相乗りを考えよう」、「毎日の移動は公共交通機関を利用しよう」のうち、ひとつのメッセージを入れることが義務付けられた。私もこれは大賛成だ。

 クルマは非常に素晴らしいものだ。いつでも、好きなところへ、他人にわずらわされず速やかに移動することができる。その一方で、環境への負荷は大きい。道路などインフラ整備には多額の金額がかかる。いわば贅沢な乗り物だと思う。もちろん、EVやPHEVなどのエコカーに乗れば環境負荷を低減することは可能だが、それでも徒歩や自転車、バスや鉄道には敵わない宿命を持つ。それなら、必要以上にクルマを使うことを減らしていくことが大切なのだと思う。

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