未来へ語り続ける勇気
先日、宮城県石巻市の震災遺構、旧大川小学校に行った。仙台からおよそ1時間少々、三陸自動車道を河北インターで降りて、近くの道の駅で食事をした後、北上川の堤防沿いの道を20分ほど走ると大川小学校に着く。北上川はゆったりと流れ、その両側には水田と小さな集落がある。天気も良く、景色も広々している。やがて、青い色の橋が見える、この橋は新北上大橋と言う。橋を過ぎてまもなく大川小学校に着く。
この大川小学校は2011年3月11日、15時36分頃、校庭から避難場所に向かっていた大川小学校の児童と教職員を津波が襲い、その場にいた児童78名中74名死亡、教職員11名中10名死亡という大惨事になった。他に、校庭に集まっていた地域の住民にも犠牲者が出た。
大川小学校の校舎は津波の威力を私たちに無言で訴えていた。壁は崩れ、体育館はコンクリートでできた部分を残し消滅し、渡り廊下は海側に向かって倒れていた。
大川小学校では、地域の住民の方の語り部の方の話を聞くことができた。震災当日の様子、その後のこと、現地でなければ聞くことのできない貴重な話だった。この方は津波の被害で家族の方を亡くされていて、真実を知りたい、そして真実を多くの方に伝えたい一心で自分の時間を割いて語り部の活動をされていた。その姿や語り口からは深い悲しみとやり場のない怒りが感じられた。中には思い出したくないこともあるだろう。それでも語り続けるのは、この津波の被害を風化させたくない、家族や大川小学校の児童、教職員、地域の住民の犠牲を無駄にはしたくないという強い意志が感じられた。1時間の予定であったが、私たちの質問も交えながら予定を大幅に超えてお話を聞くことができた。本当にありがとうございました。
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