醜い日本
昨日の夏の高校野球の決勝戦では、関東一高と京都国際が延長線の末、京都国際が初優勝を果たした。これだけなら、両校の選手の健闘を讃え、めでたし、めでたしで終わりになるのだが、話はそうではない。日本社会の、いや、日本人の極めて陰険で悪質さが見えてしまった。
実は、この問題は以前からあったのだが、今回、より鮮明になったのが、根深い民族差別問題である。京都国際中学校・高等学校は1947年に在日韓国人のための学校として設立されたのがはじまりで、2004年からは日本人の生徒も受け入れる一条校(学校教育法第1条に定める幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、大学等)になり、現在は日本人の生徒も多いという。同校の単位計画表を見てみたが、基本的に高等学校の普通科として違和感のない教育内容であり、学校設定科目として韓国語や韓国史、韓国地理があるが、これは学校の裁量で設定できる範囲内のことで特に問題ではないと思う。全体として多少韓国の民族学校としての内容はあるもののおおむね普通科の高校の範囲内であると考えて良い。しかし、現在でも同校の効果は韓国語である。この効果に対し、「日本の学校なのに韓国語の校歌はおかしい」、「野球の聖地甲子園で韓国語の校歌は聞きたくない」という投稿がXなどに多数投稿された。しかし、それはちょっとおかしくないかと思う。日本と韓国は隣国である。1000年以上前から日本と韓国には人の行き来があり、日本国内に多くの中国系や韓国系の人が渡来人として定着した歴史があるし、20世紀になると日本は大韓帝国を併合し、支配してきた過去がある。その中で、日本の各地に朝鮮半島出身者が定住したという経緯もある。そのような歴史がある限り、日本国内から韓国語を話す人が存在するのも当然の話であり、韓国語の歌詞を採用する学校があってもとくに違和感を持たない。
いや、韓国語の歌詞は100歩譲って認めるけれど、歌詞の内容が問題だとする人もいる。歌詞の中に、「東海」という言葉が出てくる。これは政治的プロパガンダだという人がいる。「東海」とは、韓国の東にある海、つまり日本海の韓国側の呼称である。同じ海や川を立場が違う国の人が別の名前で呼ぶことはよくある話で、北朝鮮と中国の国境にある白頭山は中国では長白山という。ロシアでアムール川と呼ばれている川は中国では黒龍江と言う。日本では県によって同じ川を別の名前で呼ぶことがあるくらいでsる。新潟県では信濃川と呼ばれている川は、長野県では千曲川になる。同じく、新潟県では阿賀野川と呼ばれている川は、福島県では阿賀川と言う。これらの呼び名は長い歴史の中でつけられてきたものだから、そう簡単に変わるものではないし、変える必要性もないものだと思う。もし、新潟県民が福島県に旅行に行って阿賀野川と言ったら政治的プロパガンダになるのだろうか、そんなバカな話はないだろう。
戦前に教育を受けた日本人やその子ども世代までは、アジアの中で日本を圧倒的な先進国だとみなし、日本以外のアジアの国々を劣った存在だとみなす人がいることは知っている。しかし、時代は変わった、アジアの国々も力をつけて、先進国になったり、先進国を脅かす存在になった国も多い。そもそも、先進国の人間がそれ以外の国の人間や文化、歴史をも見下していいとは思わない。それは人間が行う行為でもっとも醜い差別に他ならない。現在の世界は人や物や情報が国境を越えて行き交う時代になった。違いを認め、お互いを尊重して生きたいと思う。
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