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情けない人々

 2月29日、韓国全羅南道の務安空港で、バンコク発務安行きのチェジュ航空航空2216便が胴体着陸に失敗し、乗員乗客181人のうち179人が死亡するという痛ましい事故が起きた。この事故の詳細な原因はわかっていないが、何らかの原因でランディングギア(主脚)とノーズギア(前脚)が降りずに、オーバースピードで胴体着陸を試み、滑走路を通り過ぎて、空港の端にある壁に激突したと見られる。ボイスレコーダーやフライトレコーダーが回収されたので、事故発生時の機体の状況や乗務員の操作、コクピットでの会話がわかり、事故原因の解明につながることも期待されている。

 チェジュ航空は、日本の空港にも就航しているほか、事故を起こしたボーイング737-800は、全日空、日本航空、スカイマークエアラインズ、ソラシドエアなどで使用されており、機体固有の問題があるのかも注目される。

 大きな被害を出した事故なので、石破首相は韓国国民向けに韓国語でお見舞いのメッセージを出した。このようなことは、日本に限らず大きな災害や事故が発生した時や著名人の訃報の時にはよく行われていることだ。しかし、このことが気に入らなかった人たちがいるようだ。ネットでデマを流し、民族差別をあおる残念な人々だ。彼らによると、日本と韓国との間には竹島や歴史認識などの問題があるのに、メッセージを送るのはおかしい、あるいは日本の総理大臣が韓国語を使うのはおかしいということだ。それには私が反論しよう。まず、日本と韓国との間には竹島や歴史認識の問題があるのは紛れもない事実だ。しかし、それを理由に断交(国と国との交わりを断つこと)をするのは愚か者の所業である。人や物の行き来が絶えるのは大きな損失になる。そして、懸案を抱えながらも付き合っていくのが外交である。そうして付き合っている以上、このようなメッセージを送り合うのは当然であると思う。また、韓国語で、メッセージを送ったことも妥当であろう。韓国国民向けに日本語でメッセージを送っても多くの人が理解できないだろう。そうなればメッセージを送った意味がなくなる。なお、石破首相は日本語でも同じ文章を送っており、決して日本国民軽視には当たらない。とにかく、日本には残念で情けない人たちが増えたと思う。

芸能界と人権問題

  最近報道されている元国民的アイドルの性加害問題であるが、ことと場合によっては少し前に問題になった元大物芸人の性加害問題を上回る問題に発展する可能性もある。元大物芸人場合は、後輩の芸人たちがこの人物ために女性を集めたと言われているが、元国民的アイドルの場合は、テレビ局の幹部が中居を接待するために組織的に場所や自社の女性従業員を用意していた可能性があるという。これだけコンプライアンスが叫ばれている時代に、有名芸能人に取り入るために女性を物扱いし、結果的に女性の心と身体に重い傷を負わせたのであれば、これは組織として責任問題に発展する可能性があるだろう。

 いずれにせよ、芸能人もテレビ局も人権に関してもっと学習すべきだと思う。そのためにも真相解明を強く求めます。そして、私たちも「面白ければいい」、「有名人だから多少のことは許される」ではなく、芸能界の人権問題についてもっと敏感になるべきだろう。

知識とニュースの偏食時代 (下)

 今年の出来事を見ていると、選挙においてYouTubeなどの動画投稿サイトやXなどのSNSを駆使した候補者が、勝利、あるいは善戦する傾向がはっきりしてきた。もちろんこれらのツールは情報伝達手段として非常に有能なものであるし、マスメディアが取り上げないことを多くの人に知らせることができる。しかし、私が懸念するのは、その使われ方である。

 今回の選挙で、これまで政治に関心を持っていない人が投票に行くことが多くなった。これ自体は非常に好ましいことだろう。しかし、事実とは考えられないことや極端な考え方があたかも正しいかのように考える人が増えている人が多いことが気になった。彼らは言う、テレビやラジオ、新聞などのマスメディアは、偏向報道をしている、あるいは真実を伝えていない。なるほど、それは当然あるだろう。テレビ局や新聞社に勤めているのももちろん人間である。人間んが伝える以上、その記者や会社の意向や思想が反映された報道になることはやむを得ないことだと思う。また、これらのメディアが伝えない真実というものももちろんあるだろう。それでは、動画投稿サイトやSNSはそこまで客観的な報道や事実を伝えているかと言うと、それも怪しい。発信元や真偽が不明な情報はむしろこちらが多いと言える。何せ、テレビ局や新聞社と違って、社内のチェックなどは多くの場合期待できない場合が多い。しかし、残念ながら人間という生き物は信じたいものを信じてしまう生き物なのだ。動画投稿サイトやSNSに自分が信じたい情報があればそこに飛びつくのはわからないでもない。

 結局、大切なことは、たくさんの情報源を持つことだ。特定の動画投稿サイトのチャンネルやSNSのアカウントに頼りきらないで、複数の情報源を持ち、最後は自分の頭で冷静に考えることが何よりも必要なことだろう。

知識とニュースの偏食時代(中)

 インターネットの登場によって、人はいつでも、どこでもニュースなどの情報に接することができるようになった。そして、スマートフォンなど情報端末の小型化によって人は誰でも発信できるようになった。ニュースなどの情報に接することができれば、それだけ人々の知識が増え、社会の知的水準も向上すると思われたが、どうもそうばかりとは言えないようだ。

 子どもに接する仕事をしている人ならピンとくるかもしれないが、最近の子どもたちは、特定の分野の知識には強いが、子どもたち同士の共通の話題が乏しくなっていると感じる人もいるだろう。昔はテレビが主なメディアであったから、人々が接する情報はある程度限られていた。この間の「全員集合」はどうだったとか、「ひょうきん族」はどうだったとか、なんとなく共通する話題があった。ところが今の子どもたちはテレビはあまり見ない。YouTubeなどの動画投稿サイトやLINE、TikTokなどのSNSがメディアの中心になっている。例えばYouTubeのチャンネル数はテレビが地上波、BS、CS合わせてもはるかに敵わない数がある。仮にどんなに興味・関心の幅が狭い人だとしても、YouTubeやSNSならそのうちいくつかは自分の興味・関心を満たしてくれるものがあるだろう。また、YouTubeやSNSの仕組みもなかなかよくできていて、その人の興味・関心を分析して、その人が見てくれそうな動画や情報が出てくるようになっている。それと比べると、テレビや新聞などのオールドメディアのなんと気の利かないこと、自分の関心のない番組や、自分の興味のないニュースを延々と押し付けてくる、そう感じている人が多いのだろうと思う。

 ここで、食事について考えてみよう。例えばここに、お菓子ばかり食べて、他の食べ物をほとんど食べないという人がいたらどう思うだろうか。多分、多くの人はその人の健康を心配するだろう。知識やニュースなどの情報についても同じで、やはり色々な情報を持っていた方が、正しく考え、判断し、行動するには大事なことだと思う。そのためには、政治、経済、社会、国際、地域、文化、スポーツなどの情報について、ある程度バランスよく接することが必要だと思う。動画投稿サイトやSNS、掲示板サイトなどを否定するつもりはさらさらないが、いわゆるオールドメディアや、人との会話など、様々な形で知識やニュースに接することが必要なことだと思う。

知識とニュースの偏食時代(上)

 最近ではテレビや新聞、ラジオなどのいわゆるオールドメディアにはぼ関わらず、知識やニュースはもっぱらXやFacebookなどのSNSやYouTubeやTikTokなどの動画投稿サイト、あるいは5ちゃんねるなどのネット掲示板などで得るという人が増えている。とくに、年齢が若い人ほど顕著で、テレビはほぼ見ないという人が増えているという。

 SNSや動画投稿サイト、あるいはネット掲示板の最大のメリットは、スマートフォンがあれば、いつでもどこでも、自分のほしい情報にありつけるということだろう。オールドメディアだとそうはいかない。新聞は基本的にどんなに頑張っても朝刊と夕刊の1日2回しか発行されないし、テレビやラジオのニュースだって決まった時間にしか流れない。私はかつて台湾を旅行した時、車程という田舎の山の中のローカル線の終着駅を旅していた時に、ネットのニュースでイラクのサダム・フセインの処刑を知った。台湾のホテルに行けば、テレビで日本語のニュースを見ることができるし、台湾は日本と同じ漢字文化圏だから、新聞を見れば大体のことがわかる。日本語メディアなどなさそうな田舎町で、日本語のニュース速報を入手できる。すごい時代になったものだと思った。

反省するは彼だけにあらず

 日本保守党の百田尚樹代表、YouTube番組で、少子化対策を議論した際に「小説家のSF」と前置きした上で「30超えたら子宮摘出」と発言したことが9日、分かった。

 百田氏は8日配信の番組で「これはええ言うてるんちゃうで」「小説家のSFと考えてください」と述べた上で「女性は18歳から大学に行かさない」「25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にする」「30超えたら子宮摘出とか」などと語った。同党の有本香事務総長が「SFでもいくらなんでも」と指摘すると、百田氏は「時間制限を分かりやすく言った」と説明した。百田氏は9日、自身のX(旧ツイッター)で「あくまでSF小説としての仮定としての一例としてあげた話。現実にはあり得ないとも断っている」とした。

 日本保守党は10月の衆院選で3議席獲得。比例全11ブロックの総得票数の割合が2%に達し公選法が規定する政党要件を満たした。(スポニチアネックス)

 これは酷い発言。女性の人生も人権も全く考慮に入れていない発言で、仮に小説家のSFと仮定した場合でも、仮にも国政政党の党首の発言とは思えない。もちろんこれをすれば出生数は増えるかもしれません。女性が高等教育の機会を奪われれば専門職などに就く機会が閉ざされ、男性の経済力に頼るしかなく、婚姻数は増えるでしょう。また、25歳以上の女性を禁止することで、早く結婚する人が増え、結果的に出生数は増えるかもしれません。しかし、そのような極端な政策をすることで、不幸な結婚や不幸な家庭が増え、男性も女性も、もちろん子どもも家庭に縛り付けられることに気が付かないのだろうか。30歳をこえたら子宮摘出ということは傷害罪に該当する可能性がある。病気の治療などで医学上の必要性があり子宮を摘出する人はいるが、医学上必要のない手術は人を怪我させるのと何ら変わりがない。

 百田氏の発言は問題だが、彼の発言に歓声を送っていた人にも猛反省してほしい。自分が言えないことを言ってくれた、スカッとする、そうやって彼を支持してきた人が彼をここまで暴走させた面はあると思う。

撤退戦

 今年の能登半島は災害続きである。元日には能登半島地震があり、9月には洪水があった。どちらも多くの人が亡くなり、負傷した方、建物の損壊、道路の破損などが多数出た。この災害によって、避難所などで不便な生活を強いられた人が多数出た。地震活動は長い地球の歴史の中で比較的地震の少ない時期と多い時期を繰り返しているが、今はおそらく地震活動の多い時期になっているし、今後南海トラフ巨大地震の発生も予想されている。地球温暖化は進み、今年は異例づくめの夏であった。温暖化の進行により、大雨による土砂崩れや洪水などの被害は年々深刻化している。

 しかし、災害に対するマンパワーは年々弱体化している。すでに日本国民の平均年齢は50歳前後と高齢化が進み、人口の減少も深刻である。今後も日本の人口減少は続き、現在1億2000万人いる人口は、2050年前後には1億人を下回り、2100年には6000万人、ひょっとしたら5000m万人を割り込むという。こうなると、マンパワーの不足は深刻で、災害対応や復旧工事に携わる人が足りないどころか、資材の搬入や炊き出しも満足にできなくなるという事態すら想定できる。もちろん、外国から人を呼び寄せ、日本に住んでもらうということを考える人もいるだろう。私もそれは基本的に賛成だが、それにも限度はある。日本だけでなく、アジアの多くの国ですでに出生率の低下が始まっていて、そう遠くない将来人口減少が始まる国も多い。そうなればそれらに国々も人口を自国に引き留めようとやっきになるだろう。そのような中で日本が長期的に他国から人口を集め続けることができる保証はない。

 人口減少と災害の多発、この2つを考えると、今後の日本の防災政策は、撤退戦だと思う。災害に弱い地域をリストアップし、あらかじめそこに住んでいる人に移住を促すことに尽きると思う。人口が増加している時、あるいは国民の年齢が若い場合は、災害に強い道路を作る、高い防波堤を作るなど災害に強い地域作りをした上で引き続きその土地に住んでもらうという政策を取ることができる。しかし、人口が減少が今後も続き、高齢化も進んでいる今の日本でそれは得策ではないと思う。

 具体的には、災害に弱い地域の人に、災害に強い地域への移転を促す。その時に大事なのは、できるだけ、その地域の人が同じ地域に移転できるようにすることである。移転には、住みなれた土地、住みなれた家を離れるという大きな痛みを伴う行為である。せめて長年顔馴染みであるご近所さんと一緒ならそれも少しは和らぐと思う。小さな集落を災害に強い場所に集約すれば、バスなどの公共交通機関、スーパーマーケットなどの買い物の利便性、そして金融機関や医療機関なども維持しやすくなり、結果的には生活の利便性も大きく高まると思う。そして、災害に弱い地域から人々が撤退することで、防災や道路維持、公共インフラの維持費を大幅に削減することも可能になる。もちろんその際には人々の心の拠り所になる寺院や神社、墓地なども一緒に移転できるようにすると良いと思う。暴論に聞こえるかもしれないが、誰かが勇気を持って始めないと進まないことだろうと思う。

冤罪許すまじ

 私が中学生の時の運動会の休憩時間に旧に放送が入った。その放送は「帝銀事件の平沢貞通死刑囚が死去しました」という内容だった。平沢貞通さんの名は中学生である私も知っていたし、冤罪の可能性が高いことも知っていた。だからと言って、運動会の途中で放送することには違和感を感じたが、その運動会の思い出として妙に心に残っている。

 平沢貞通さんは、1892年に北海道で生まれ、1910年代から才能が認められて画家として活躍した。しかし、1948年1月に東京都にある帝国銀行椎名町支店で起きた毒物による12人が死亡した事件、いわゆる帝銀事件の犯人として逮捕された。極めてあやふやな証拠しかなかったにも関わらず、平沢さんは犯行を自白し(自白させられたが正しいだろう)1955年には裁判で死刑が確定した。平沢さんはその後も獄中から無実を訴え続け、政治家や文化人の中にも冤罪を主張する人がいた。そのようなことがあってか、死刑判決が確定しても、死刑の執行は見送られ続けた。死刑執行の命令書には法務大臣の署名が必要だが、歴代の法務大臣の中には、平沢さんの冤罪の可能性を感じた方もいるのではないかと思う。結局平沢さんは1987年5月、獄中から無実を訴え続けたまま宮城刑務所で亡くなった。死刑確定から30年以上の歳月が過ぎていた。

 そして、今週、袴田事件で死刑判決を受けた袴田巌さんが無罪の判決を受けた。1936年に静岡県で生まれた袴田さんは、プロボクサーとして活躍したたあと、静岡県内の味噌製造業者に就職、同社の専務宅で発生した強盗放火殺人事件の犯人として逮捕され、1980年に死刑が確定した。しかしここでも強引な捜査と証拠の信憑性が問題になった。獄中から無実を訴える袴田さんと支援者の声は多くの人を動かし、2014年に再審が開始、袴田さんは釈放され、家族のもとに戻った。そして、2024年9月、静岡地方裁判所で無罪判決が出た。検察は控訴をするかはわからないが、数少ない証拠である血の付いた衣服が捏造されたものと認定された以上、検察はこれ以上争う必要性は無いと思う。そして、88歳の袴田さんに穏やかな日々が訪れることを切に願う。

 

 それにしても、冤罪は、無実の人の人生を奪うものである。今後このようなことが起きないでほしい。

誰も言わないのね

 自民党総裁選挙が始まった。立候補に向けて推薦人の確保に向けて動いたり、政策を発表したりする候補者も現れてきました。しかし、まだ現れないのが、「裏金を作った議員は今後一切公認候補にしません」という言葉、「裏金を作った議員には返金させる」と言った候補者はいましたが、100歩譲ってそれは甘すぎます。だって、私たち国民が脱税したとして、「やっぱり後から払いますから見逃してください」は通用しないでしょう。あと、旧統一協会と関係のあった議員は除名、それくらいできなければ許す必要なんて無いと思う。

醜い日本

 昨日の夏の高校野球の決勝戦では、関東一高と京都国際が延長線の末、京都国際が初優勝を果たした。これだけなら、両校の選手の健闘を讃え、めでたし、めでたしで終わりになるのだが、話はそうではない。日本社会の、いや、日本人の極めて陰険で悪質さが見えてしまった。

 実は、この問題は以前からあったのだが、今回、より鮮明になったのが、根深い民族差別問題である。京都国際中学校・高等学校は1947年に在日韓国人のための学校として設立されたのがはじまりで、2004年からは日本人の生徒も受け入れる一条校(学校教育法第1条に定める幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、大学等)になり、現在は日本人の生徒も多いという。同校の単位計画表を見てみたが、基本的に高等学校の普通科として違和感のない教育内容であり、学校設定科目として韓国語や韓国史、韓国地理があるが、これは学校の裁量で設定できる範囲内のことで特に問題ではないと思う。全体として多少韓国の民族学校としての内容はあるもののおおむね普通科の高校の範囲内であると考えて良い。しかし、現在でも同校の効果は韓国語である。この効果に対し、「日本の学校なのに韓国語の校歌はおかしい」、「野球の聖地甲子園で韓国語の校歌は聞きたくない」という投稿がXなどに多数投稿された。しかし、それはちょっとおかしくないかと思う。日本と韓国は隣国である。1000年以上前から日本と韓国には人の行き来があり、日本国内に多くの中国系や韓国系の人が渡来人として定着した歴史があるし、20世紀になると日本は大韓帝国を併合し、支配してきた過去がある。その中で、日本の各地に朝鮮半島出身者が定住したという経緯もある。そのような歴史がある限り、日本国内から韓国語を話す人が存在するのも当然の話であり、韓国語の歌詞を採用する学校があってもとくに違和感を持たない。

 いや、韓国語の歌詞は100歩譲って認めるけれど、歌詞の内容が問題だとする人もいる。歌詞の中に、「東海」という言葉が出てくる。これは政治的プロパガンダだという人がいる。「東海」とは、韓国の東にある海、つまり日本海の韓国側の呼称である。同じ海や川を立場が違う国の人が別の名前で呼ぶことはよくある話で、北朝鮮と中国の国境にある白頭山は中国では長白山という。ロシアでアムール川と呼ばれている川は中国では黒龍江と言う。日本では県によって同じ川を別の名前で呼ぶことがあるくらいでsる。新潟県では信濃川と呼ばれている川は、長野県では千曲川になる。同じく、新潟県では阿賀野川と呼ばれている川は、福島県では阿賀川と言う。これらの呼び名は長い歴史の中でつけられてきたものだから、そう簡単に変わるものではないし、変える必要性もないものだと思う。もし、新潟県民が福島県に旅行に行って阿賀野川と言ったら政治的プロパガンダになるのだろうか、そんなバカな話はないだろう。

 戦前に教育を受けた日本人やその子ども世代までは、アジアの中で日本を圧倒的な先進国だとみなし、日本以外のアジアの国々を劣った存在だとみなす人がいることは知っている。しかし、時代は変わった、アジアの国々も力をつけて、先進国になったり、先進国を脅かす存在になった国も多い。そもそも、先進国の人間がそれ以外の国の人間や文化、歴史をも見下していいとは思わない。それは人間が行う行為でもっとも醜い差別に他ならない。現在の世界は人や物や情報が国境を越えて行き交う時代になった。違いを認め、お互いを尊重して生きたいと思う。

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