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カテゴリー「書籍・雑誌」の26件の記事

「外交回想録」 重光葵(まもる)著 中公文庫

 重光葵(1887〜1957)は第一次世界大戦前に外務省に入り、それ以降外交官として、ドイツ、イギリス、中国などに駐在した。本書は、ドイツなど同盟国とイギリスなどの連合国の緊張が高まった時代のドイツで外交官としてのキャリアを始めた。本書はベルリン着任のちょくぜんから記述が始まっている。それから、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まり、日米関係が緊迫した時期にロンドンから東京に戻った時点で本書の記述が終わっている。本書の中では、日本の外交官だけでなく、各国の外交官や政治家とのやり取り、その時代の人々に様子が冷静なタッチで描かれてある。

 特に興味を引いたのは、日本が満州事変を起こして以降の記述で、中国の外交官と戦争を避けるために様々なルートで交渉を尽くした部分である。結果的に日本と中国の対立はエスカレートを重ね、重光ら外交官の努力は生かされなかった。今、また国際関係は緊迫している.私たち市民がどのような目で国際関係を見ればよいか、そのようなことを語りかけてくれる一冊である。

「江戸の家計簿」 磯田道史著

 歴史を語る時に天皇や武将、大名などの動きなどの政治史や社会史の切り口から語られることが多い、それはそれで大事なものだし、面白いけれど、人々の生活や経済活動という経済史や生活史という視点が加わるとより立体的に歴史を見ることができ、歴史がより面白くなる。この本は江戸に住む武士や町人などの生活をお金という視点で描いた作品である。
 
 ちょっとだけ中身を紹介してみる。「暴れん坊将軍」こと江戸幕府8代将軍、徳川吉宗の時代の幕府の収入は463万石、これを現在の貨幣価値に換算すると1兆3890億円、現在の日本政府の税収の50分の1といったところ。徳川吉宗は享保の改革という幕政改革を行なったが、家康や家光の頃に比べれば幕府財政も悪化していたそうだから、暴れん坊将軍の懐も結構寂しかったのかもしれない。

 現在の物価と江戸時代の物価を比較するのも面白い。意外なものが高く、意外なものが安かった。今と同じくらいの価格なのが握り寿司、1貫8文現在の価格だと125円、回転寿司のちょっといいネタくらい。安いのが湯屋(銭湯)で、大人6文、現在の価格だと95円、高いのが卵で1個20文、なんと315円もした。このような知識があると歴史に関する本を読んだり、時代劇を見たりするのがもっと楽しくなりそうです。

「いびつ伝〜日本最初の養護学校を創った柏倉松蔵の物語」岩間吾郎著

 日本で最初の肢体不自由時のための教育機関、一般的には1932年に東京都麻布にできた光明学校(現在は東京都立光明学園、場所も世田谷区に移っている)とされているが、実際は1921年に東京都の小石川にできた柏学園を日本最初の肢体不自由の教育機関とするのがより正しいと私は考える。柏学園では、柏倉松蔵の妻であるトクと、織田訓導(現在の教諭)当時の尋常小学校(現在の小学校)に準じた授業を行い、松蔵が医療体操やマッサージを行い、通学のほか保母がいて学園に泊まり込んで学ぶことができた。また戦前では極めて珍しかったスクールバスがあり、児童生徒の通学のほか、遠足にも活用されていた。そうなると、現在の肢体不自由特別支援学校に必要な要素は揃っていた。ただし、当時の学校に関して定めた学校令に基づく学校ではなかったことと、柏学園が1958年に廃止され、当時のことを知る人も記録もほとんどが失われ歴史から消滅してしまった存在になってしまった。

 この本の著者の岩間吾郎氏は戦前柏学園に在籍し、戦中から戦後も柏倉松蔵と一定の交流を保っていた人物である。数少ない柏倉松蔵と柏学園の貴重な記録であるし、身体に障害を持つ著者が太平洋戦争前後の困難な時代を生きてきた自叙伝でもある。私は学生時代肢体不自由児教育史について卒業論文を書き、柏倉松蔵についても文献をいろいろ読んだが、そこではわからない生身の人間としての姿があった。かなり分厚い本だがじっくり読んで欲しい本である。

晩秋の色

 鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は、1978年(昭和53年)10月から12月にかけて、北海道の広尾から鹿児島県の枕崎まで最も遠回りの切符(13,319.4km、有効日数68日、運賃65,000円)を使って旅をした。その記録は翌年「最長片道切符の旅」として出版され、宮脇文学に代表作になった。この本に描かれているのは。単なる鉄道紀行にとどまらず、各地の紅葉をはじめとする自然の描写、1978年の鉄道や社会の様子を知ることができる簡潔で美しい描写が特徴的である。とりわけ印象的なのは、秋の日本列島を縦断して「日本の国菜は大根で、日本の国果は柿ではないか」という記述であった。当時は家の軒先に沢庵などの漬物を作るために大根を吊してあるのは普通のことだったし、庭に柿の木があり甘柿ならもいでそのまま、あるいは渋柿なら渋を抜いて家族で食べるのが当たり前だった。柿は全て食べずに少し残しておいてそれを鳥がついばんでいくのはよく見る光景だった。

 あれから40年と少しが過ぎ、世の中も移ろい、国菜と国果を取り巻く情勢も変わった。野菜や柿の多様化が進んだ。自宅で漬物を作る人は減ったせいか、地方に住んでいる私も家の軒先に大根を吊るしている光景はあまり見なくなった。柿の実がたわわに実っていても取り入れされずにそのまま残っている光景も見ることが増えてきた。それでも、茶色などの渋めの色合いに包まれる晩秋に大根の白や柿のオレンジ色は日本の景色を豊かにする存在だしできることなら変わってほしくないものだと思う。

秋の夜長に

   気がつけばすっかり秋めいてきた。空気が乾燥して、空が高くなり、虫の声が心地よく響いてくるようになった。夕方あっという間に暗くなり、暑かった夏から秋へ駆け足で進んでいるのがよくわかる。こんな時期は読書が楽しい。私は鉄道や旅行が好きだから、宮脇俊三や内田百閒の紀行文を読んだり、旅行を主題としたブログを読んだりしている。早く暗くなって気候も良くなるこの時期、じっくり読書をするのもいいと思う。いわゆる本だけでなく、ブログや電子書籍でもいいと思う。読書の素晴らしさは、自分ができない体験を著者に代わりにやってもらったり、自分が行けない世界に行ったりできることだと思う。そういえば、先日亡くなった安部譲二さんのエッセイも面白かった。彼の体験した世界はそうそういけるものではないし。

「野宿入門」 かとうちあき 草思社

 本を読むということはその本の著者の人柄に触れることだと思う。だから、人と人の愛称があるように人と本の愛称という者はある。そのあたりは最初の数ページを読めば何となくわかってくるものだ。この本の著者のかとうちあきさんは突き抜けた面白さがある人だと思う。

 「29歳、独身、女。風呂は、まだない」

 という言葉でこの本は始まる。この言葉だけで、「ああ、この人センスあるな」と感心した。かとうちあきさんは中学生の頃から野宿にあこがれ、高校生で野宿デビュー。友達と2人で東京から熱海へ徒歩旅行をして、途中の道路の側溝で寝たのが野宿の始まり、その後、大学生で本格的に野宿をして、大学卒業後は就職をせずに徒歩旅行で野宿をしながら、介護福祉士の仕事で最低限のお金を稼ぐ生活をする。後に「人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』」の編集長になる。

 この本には野宿の実践的なコツが凝縮されている。段ボールや新聞紙の活用の仕方、安全な野宿場所、コンビニや警察官を味方にするためのコツなど。野宿のコツ、と思われる方もいるかもしれないが、私たちにとって野宿はそんなに縁遠いものなのか?そんなことはないと思う。大地震で家が倒壊して、避難所に行ったら満員御礼なんてことは地震が多く人口密度の高い日本ではあり得ることである。

 しかし、この本の魅力はそれだけではない。かとうちあきさんの生きざまそのものが面白い。常識にとらわれず、自分の思う道を突き進む生きざまは痛快である。法政大学社会学部を卒業したら、いい会社に就職することは難しくないし、そこでバリバリ働いたら風呂付のアパートどころか、ベイエリアの高層マンションに住むことだって難しくはないあろう。しかし、そんなことには目もくれず、わが道を行き、年収は100~300万円、余計なしがらみを持たず、自分の好きなことを人生の中心に据える生きざまはうらやましいし、読後にそう快感を覚える。かとうちあきさんは現在35歳、今でもどこかで野宿をしているのだろうか。

「機長の航跡」 諸星廣夫 イカロス出版

 1945年、太平洋戦争に敗れた日本は、民間航空を含むすべての航空活動を禁止された。1951年、日本航空が設立されて、民間航空が復活したが、この時点ではアメリカのノースウエスト航空(現在のデルタ航空)の乗務員による運行だった。翌年には日本人の乗務員が誕生するが、戦時中と戦後の空白期の間に、民間航空の技術は大きく進歩していた。当時の日本航空はアメリカの航空会社をお手本にする世界の片田舎の小さな航空会社だった。

 著者の諸星さんは1958年、片田舎の小さな航空会社から飛躍しようとしていた日本航空に入社、ダグラスDC-4型機の副操縦士になる。この機体は、日本航空の初期の主力機で、レシプロ(ピストン)エンジンを4機積んだプロペラ機で、、最高速度は350km/h,、定員64名、中には雨漏りもする機体もあったそうだが、当時としては世界の水準からやや遅れていたが、それでも戦災から復興した日本にとってはあこがれの存在だった。諸星さんはその後ダグラスDC-6という、やや大型化した国際線用のプロペラ機の機長、コンベア880という、操縦の難しいじゃじゃ馬的なジェット機、ダグラスDC-8という、国内線、国際線で広く活躍したジェット機、世界の空を変えた通称『ジャンボ』と呼ばれたボーイングB747,ジェットエンジンを3機積んだ特徴的なスタイルのマクドネルダグラスDC10の機長を歴任し、1991年に日本航空を定年退職した。この間、日本航空は世界有数の航空会社に成長した。戦後の日本が世界有数の経済大国になるのと歩調を合わせるかのように。

 諸星さんの文章は、徹底的に冷静で、自社の事故についても技術的な視点から分析している。また、その時代時代の日本航空が抱える問題について、自分の考えをもって仕事に当たっている。空の旅が好きな人にとって、パイロットというプロフェッショナルの仕事を知るためにも、戦後の航空史を知るためにも貴重な資料となる1冊だろう。

寝る前の楽しみ

 今の時刻は23時7分、そろそろ布団に入り、夢へのフライトに出発することです。寝る前の時間の楽しみが読書です。ネットで簡単に情報が入る時代、本を読む人が減って出版不況だと言われています。私も一時期本を良くとこが極端に減った時期もありましたが、ネットは情報を集める、本は感情を入れながらゆっくり読むという役割分担ができてきたように思います。読む本は小説はあまり多くなく、エッセイや紀行文、歴史書等が多いです。さて、わたしもそろそろPCの電源を落として布団に入って、夢へのフライトに出発するまでのつかの間読書を楽しむとしましょう。おやすみなさい。

「塀の中から見た人生」 安部譲二・山本譲司著 カナリア書房

 安部譲二、1937年東京都生まれ、中学校卒業後任侠の世界へ、そのかたわら、日本航空パーサー、キックボクシング解説者などをつとめた。任侠の世界から足を洗った後小説家に、「塀の中の懲りない面々」がミリオンセラーになった。一方、山本譲司、1962年北海道生まれ、市民運動での活動、菅直人(現財務大臣)の秘書を経て、東京都議会議員、衆議院に。名前が「じょうじ」であること以外あまり接点のなさそうな二人だが、意外な共通点がある。それは、二人とも元懲役、つまり罪を犯し刑務所に受刑者として収容されていたことのある人物なのである。

 この本の内容は、二人の刑務所での体験と、受刑者や刑務官との出来事に関しての対談。ベテランの懲役太郎である安部と、1回だけの短期の懲役(秘書給与流用)である山本は、もちろん経験した内容も全然違うが、私たちにはうかがい知れない塀の中の様子が面白かった。しかし、面白がってばかりいてはいられない。安部も山本も口を揃えて日本の刑務所が抱える深刻な問題をあげている。

 刑務所には犯罪を起こした者を懲らしめる機能、犯罪を犯した者を社会から隔離する機能、そして、犯罪を犯した者を更生させ社会復帰を促す機能があると思う。日本の刑務所はこのうちはじめの2つの機能についてはとてもよく機能しているが、最後の社会復帰を促す機能についてはまだまだであるそうだ。悪いことをした者は懲らしめて隔離すればそれでいいだろうと思う人もいるかもしれない。しかし安部も山本もそれは違うという。私もそう思う。日本には終身刑の制度もないし、懲役200年とかそんなむちゃくちゃな長期の懲役刑はない。死刑囚を除けばいずれ刑務所を出所して社会に戻っていくことになる。罪を償った人が胸を張って社会の中で生きていくこと、これは当然のことだと思う。そのための職業訓練や教育的な支援は絶対に必要だと思う。

「嫌われ松子の一生(上・下)」 山田宗樹 幻冬舎文庫

 人は誰でも愛を求め、幸せをつかもうともがきながら生きている。しかし、一度坂を転がり落ち始めると容易にそれを止めることは難しい。この小説の主人公の川尻松子は不器用だがまっすぐに人を愛したが、己の弱さと運命のいたずらによりとめどなく坂を転げ落ちてしまう。そんな彼女の23歳から53歳までの転落の物語。
 
 この作品は、2006年に中島哲也監督、中谷美紀主演で映画化され、同年に内山理名主演でTBSテレビかでドラマ化されたので、そちらで見たという方も多いと思う。私もテレビドラマ版は一部を見たことがあるが、昨年末に改めて小説版を読んでみた。
 この小説の主人公の川尻松子の弱さ、それは自分の意思を強く持てないところだと思う。猛勉強をしたのも自分のためではなく、両親の愛を自分につなぎとめるため、教師になったのもそう。学校を追われた後も、亡くなるまでの間に数人の男とかかわったが、男の愛をつなぎとめるために安易に覚せい剤に手を出したり、破滅型の男と一緒に破滅していくことになる。そして、人を見る目に欠けていた。松子を骨までしゃぶりつくそうとするヒモ男を見抜けず、骨までしゃぶりつくされる直前まで疑うことがなかった。土壇場でだまされることに気づくが、逆上した松子はヒモ男を殺害されてしまう。有罪判決を受け、刑務所に服役した松子は、刑務所で美容師の資格を取り、出所後は東京の美容室で働く。この時が松子の立ち直りのチャンスで、松子も一生懸命働くが、かつての教え子龍洋一と出会ったことをきっかけに松子の運命は再び暗転する。後に洋一にも裏切られた松子は、故郷の弟と妹にすがろうと思い帰郷するが、妹は既に亡くなって、弟からは冷たく追い返される。結局すがるものすべてを失った松子は、誰も信じず、誰も愛さず生きていくことになる。

 こう書いていくと松子は救いようのない人物に見えてくる。しかし、そんなことはないと思う。松子はやや極端かもしれないが、だれでも松子のような弱さを持っていると思う。少なくとも私はそうだと思う。松子の悲しさ、苦悩。そして時々小春日和のように訪れた穏やかで幸せな日々の喜び、それらのものがとてもよくわかる。幸せって何だろう。それを考えるのにとてもよい1冊。

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