人気ブログランキング 日記・コラム・つぶやき: やえもんのひだまりカフェ
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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の706件の記事

クリスマスエクスプレス

https://youtube.com/watch?v=vqocw6y1z6I&si=s0EwtZAuqErsVBLC

40代以上の方には懐かしい、JR東海のテレビCM「クリスマスエクスプレス」クリスマスを題材にした作品って、どこか切なくて、そしてどこか暖かい、そんな作品が多い気がします。このCMは、あくまでも人が主役だが、新幹線が実に効果的な使われ方をしています。新幹線に限らず、乗り物は人と場所を繋ぐものですが、結局人と人を繋ぐものになっていると思います。皆様に素敵なクリスマスが来ますように。

知識とニュースの偏食時代(上)

 最近ではテレビや新聞、ラジオなどのいわゆるオールドメディアにはぼ関わらず、知識やニュースはもっぱらXやFacebookなどのSNSやYouTubeやTikTokなどの動画投稿サイト、あるいは5ちゃんねるなどのネット掲示板などで得るという人が増えている。とくに、年齢が若い人ほど顕著で、テレビはほぼ見ないという人が増えているという。

 SNSや動画投稿サイト、あるいはネット掲示板の最大のメリットは、スマートフォンがあれば、いつでもどこでも、自分のほしい情報にありつけるということだろう。オールドメディアだとそうはいかない。新聞は基本的にどんなに頑張っても朝刊と夕刊の1日2回しか発行されないし、テレビやラジオのニュースだって決まった時間にしか流れない。私はかつて台湾を旅行した時、車程という田舎の山の中のローカル線の終着駅を旅していた時に、ネットのニュースでイラクのサダム・フセインの処刑を知った。台湾のホテルに行けば、テレビで日本語のニュースを見ることができるし、台湾は日本と同じ漢字文化圏だから、新聞を見れば大体のことがわかる。日本語メディアなどなさそうな田舎町で、日本語のニュース速報を入手できる。すごい時代になったものだと思った。

いわき駅前公園化計画

福島県いわき市の中心部にあるいわき駅前で、「いわき駅前公園化計画」という面白い取り組みが行われている。駅前の通りにベンチを設置したり、パラソル付きの椅子やテーブルを用意したり、テイクアウトが可能な店の情報を提供したりしている。地方都市の多くは過度のクルマ社会が進行し、駅前から活気が失われて久しい。このような取り組みで、駅前がもう一度活気が戻ってほしいと思う。

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旧友とは

 先日学生時代の旧友に会う機会があった。男性1名、女性2名、20年ぶりくらいであろうか。友人のうちひとりがお子さんの用事で水戸に来ることになり、それならと、茨城県内に住む友人に声をかけ、後に私も参加することになった。

 水戸駅南口にある納豆記念碑で待ち合わせた。まずは私と早く来れたひとりで駅ビルのカフェでたくさん話した。20年くらい会っていない人と何を話せば良いのだろうと少し心配していたが、何のことはない。学生時代の思い出や近況を話しているうちにあっという間に時間が過ぎた。そしてみんなが集合して日本料理店で飲む、話す、食べる、気がつけばあっという間に夜が更けた。

 幸せな時間には残念ながら終わりが来る。夜更けの水戸駅で解散した。それぞれ、家庭で、職場で頑張っているその表情には自信というか、誇りというか、そんなものが感じられた。すぐに会えるとは限らないが、ぜひまた会いたいと思う。その時まで、元気で頑張ってたくさん話せることを用意しておこうと思う。そして今回、忙しい中時間を作ってくれた友人に心からお礼を言いたい。それにしても旧友はいいね、ふるさとみたいなものだ。両親がこの世にいない私には残された数少ないふるさとだと思う。

ノーモア 被爆者

 ノルウェーのノーベル賞委員会は11日、「核兵器の使用は道徳的に容認できないという国際規範の確立に多大な貢献をした」として、被爆者による唯一の全国組織で、日本の反核・平和運動の中心的存在である日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協、本部・東京都港区)に2024年のノーベル平和賞を授与すると発表した。日本の平和賞受賞は、非核三原則を打ち出した佐藤栄作元首相が1974年に選ばれて以来50年ぶり2度目で、団体としては初めてとなる。(毎日新聞)

 日本は太平洋戦争の末期、広島、長崎に原爆投下をされて、甚大な被害を被った。原爆を投下したアメリカは、今だに戦争を早く終結させるためだと言っているが、当時すでにボロボロだった日本にどれだけ継戦能力があったのかは甚だ疑問であった。アメリカとしては、日本に降伏される核兵器を使用し、人体への影響などの統計をとりたかったのではないかと邪推してしまう。しかも、多くの民間人を巻き込むという最悪の方法で。もしそうだとするなら、アメリカも歴史の裁きを受けなけらばならないと思う。とにかく、核兵器による被曝の犠牲者は、広島、長崎、そして第五福竜丸で最後にしてほしい。それが、広島、長崎、第五福竜丸の関係者、日本国民の願いです。さようなら核兵器、さようなら戦争。

働かざるもの食うべからずか?

 先日Xでとある方と論争をした。テーマは権利は義務を果たさないものには与えられないのかであった。彼のいうことには、人権は義務を果たさないものには与えられないというものであった。ここで言う義務とは、納税の義務、その中でも消費税を除く税金を納めることができた者だけに人権は与えられると言うものだった。どうして消費税は除くのかと彼に問うと、明確な答えは示されなかったが、彼のそれまでの発言から想像すると、働かなくても食料品や日用品を購入すれば消費税は払わなくてはならないから国民の義務を果たしたことにはならないそうだ。それなら酒税やタバコ税はいいのかと突っ込みたくなるが、そんなことは愚問だろうから黙っておいた。

 義務を果たした者には権利が与えられ、義務を果たさないものには権利が与えらない。こうした考え方は一見正しいようだが、見方を変えれば極めて危険な考え方にもなる。それでは、彼が言う消費税以外の納税の義務について少し考えてみよう。納税を納めると言うことで多くの人が連想するのは消費税と所得税だろう。このうち消費財は働かなくても食料品や日用品を購入すればかかる税金だから義務を果たしたことにはならない。最低限、働いて所得税を納めたものが義務を果たした者とされ、一人前の社会の構成員として人権を認められる、おそらく彼はこう言いたいのではないかと思う。

 もちろん、憲法で勤労の義務や納税の義務は規定されているし、働くことは自分の生活費を稼ぐことだけでなく、他の人の生活を支え、社会を維持し、発展させることに繋がるし、私たちが納めた税金は公共サービスを維持し、社会インフラを整備することには欠かせないものであることは十分承知している。しかし、子どもはまだ働くことも消費税以外の税金を納めることは困難だし、高齢で労働をすることが難しくなった人もいるだろう。あるいは病気や障害でそもそも労働に耐えられない人もいる。そのような方の人権を認めないというのはあまりにも酷い仕打ちだと思う。

 おそらく彼は、人権について言論の自由や表現の自由などいわゆる精神の自由に限定して考えているフシがある。仮にこれらに限定したとしても、子どもだから発言するな、高齢者だから黙っていろ、病気や障害があって働けないから俺たちの言うことを聞けというのはあまりにも残酷だろう。彼はいずれ自分が高齢者になったり、かつて自分が子どもであったり、あるいは病気や障害で働けなくなったりすることを想像できないのかもしれない。その時に、黙っていろ、意見を言うな、俺たちに黙って従えと言われたらどんな気持ちになるのだろうか。当たり前のことだが、誰にでも人権はある、これは今の時代当然のことである。

五浦の海岸から平和を祈る

 茨城県北茨城市の五浦海岸は大小の入江、多くの岩がある磯、そして白っぽい岩が連なる断崖が連なり、海の庭園というべき美しいところである。近くにはアンコウをはじめとする魚が美味い平潟という漁場があり、今でも多くの観光客が訪れる。そればかりではなく、明治時代の終わりには、ここ五浦海岸に岡倉天心や横山大観によって日本美術院が置かれ、一時期日本の美術の中心地となったところでもある。

 この美しい海岸がかつて戦争の舞台になった。1941年12月、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は、はじめこそ日本側有利に進んだが、工業力も経済力も技術力も格段に当時の日本を上回るアメリカやイギリスに押され線局は徐々に悪化していく。そして満州事変から10年以上続く戦争は、経済的にも人的にも疲弊させた。やがて日本は特攻兵器などの非人道的な戦い方をするも戦局は好転しなかった。そのような中考えだされたのは、風船爆弾である。日本をはじめとする中緯度地域の上空には西から東へとジェット気流という強い風が吹いている。このジェット気流に乗る風船を上げれば、アメリカまで到達することが可能だし、この時期は日本は太平洋の制空権を失い、航空機もパイロットも足りていない状況でも気球に吊り下げた爆弾をアメリカまで送ることは可能になると考えた。もちろん、当時の軍部の指導者もこれで大きな戦果を上げることができるとは考えていなかっただろうが、突然戦線からずっと後方のアメリカ本土に日本の爆弾が落ちたとなればこれは恐怖を与えることができると考えていたのだろう。しかも、都合の良いことに、爆弾はともかくとして、気球の主な原料は和紙とこんにゃく糊、他の戦略物質と競合しないのも、経済的に疲弊して、戦略物資の欠乏に疲弊していた青息吐息の日本にとっては好都合だったのだろう。

 風船爆弾の放球は、1944年11月から、1945年3月までの間行われた。ここ、茨城県五浦のほか、千葉県の一宮、福島県の勿来からも放球が行われた。これらの場所が選ばれたのは、アメリカに比較的近い場所で、都合が良かったのと、比較的人口の多い地域で、風船爆弾の製造や放球をするための労働力を確保しやすかったこと、そしてこんにゃくの産地である関東北部に近い場所であることが理由として考えられる。実際に風船爆弾の一部はアメリカまで届き、アメリカのオレゴン州では、不発弾の風船爆弾に触れた民間人が亡くなるという痛ましい事件にもなっている。

 五浦海岸の平潟寄りの場所に、忘れじの平和の碑という石碑がある。戦争という人がする中でもこれ以上ない愚かな行為がなくなることを心より願って手を合わせた。

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スーパー開店30分後の渋滞

 私が住む地区では、スーパーマーケットが開いて30分後くらいにちょっとした渋滞が起こることがある。毎日というわけではないが、週末その時間に出かけると2回に1回くらいは渋滞に出くわすから、やっぱりそこそこの確率といっていいだろう。その渋滞の特徴は、クルマの流れが時速6キロメートルくらいと遅いこと、スーパーマーケットの入り口を過ぎると、急にクルマの流れが良くなることである。原因は、スーパーマーケットに買い物に行くおじいさんが、電動車椅子(セニアカー)で車道の真ん中を走っているからである。1度だけだが、おじいさんのすぐ後ろになったことがある。おじいさんは車線の真ん中を時速6キロメートルでさっそうと走り、右ウインカーを出してスーパーマーケットに入り、私もちょうどスーパーマーケットの駐車場の真ん中に電動車椅子を停めると、よたよたと歩いて店内に入っていった。

 時速6キロメートルで車線の真ん中を走るというのは、迷惑であるというのは間違いないことだろう。しかもその道路は追い越し禁止で中央線はオレンジ色の線が引かれているし、交通量もそこそこ多い、私も何度か遭遇したが、おじいさんの電動車椅子の後には結構長いクルマの大行列ができていた。しかし、誰も内心迷惑に思っているが、クラクションを鳴らしたり、無理に追い越そうという人はいない。マナーが良い地区というわけではない。みんなが気づいているのかもしれない、このおじいさんの姿は、自分自身の少し先の姿だと。

 このおじいさんの姿を見ていると、おそらく最近まで車を運転しているのだと思わせるところが多い。徒歩や自転車で移動していたなら、車道の真ん中を走るという発想はないし、駐車場に電動車椅子を停めるという発想もない。おそらく最近まで車を運転していて、認知機能や身体機能の低下を家族から指摘され、あるいはそのため事故を起こして運転免許を返納したのだろうと思う。高齢者のクルマを見ると、車の後部や左側のドアやバンパー、ボディにキズやへこみのある車が多い、認知機能や身体機能の衰えで、運転に困難をきたし始めている状態である。少し前だが、ボディの左側のほとんどがビニールテープだらけというクルマを見かけたことがある。それに比べればこのおじいさんはまだ潔いのかもしれない。

 高齢者は家の外に出るなという人もいる。乱暴な話であり、私は全く賛成できない。現在の高齢者はひとり暮らし、あるいは高齢者の夫婦の世帯が増加している。買い物や通院だけでなく、友人や親類を訪れたり、公共施設を利用したり、娯楽施設に行くなど、自宅に閉じこもらないことが心身の健康を維持する上では非常に重要なことである。自分でクルマの運転をすることができるうちはまだいいが、それが難しくなったら、徒歩、自転車、電車やバスなどの公共交通機関、そして電動車椅子(セニアカー)などを組み合わせて利用することで、行きたい場所に行け、会いたい人に会うことができるようにしていかなければならないと思う。クルマを運転するドライバーの中には、電動車椅子に乗っている高齢者を目の敵にする人がいる。やれ、「遅い」、「邪魔だ」車に乗れるってそんなに偉いのですか、あなたはいくつになっても認知機能や身体機能が衰えないのですね?万が一車に乗れなくなったら自宅に引きこもるのですか?どれも間違いである。電動車椅子(セニアカーは、本来歩行者扱いで、歩道を走ることになっているが、現実の道路状況は、歩道が電動車椅子が走るには狭すぎたり、段差があって危険だったりする。現状、そのような場所では、車道の端を電動車椅子が走るのはやむを得ないことだと思う。そして、電動車椅子を製造する会社や販売店などが電動車椅子の使い方やマナーについて、しっかり伝えるべきだと思う。そしてドライバーも、電動車椅子の走行を妨げないようにする優しさがほしい。また、普段から徒歩や自転車を使っておくと、クルマから電動車椅子への意向もスムーズにできるようになるのかと思う。あのおじいさんの姿は、みんなにとっていつか来る道なのだ。

さあ、行ってみよう

 紫陽花にはいろいろな色がある、どんな色の花に出会えるか予想がつかない。行ってみなければわからない物だ。さあ、行ってみよう、どんな色のアジサイに出会えるか。

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不思議なことば 1 「皮切り」

 福島県いわき市に本拠地をおく、プロサッカーチームのいわきFCは、今日のレノファ山口、次のVファーレン長崎、横浜FCと、同じリーグの上位チームとの対戦が続く。このような場合、「いわきFCは山口戦を皮切りに長崎、横浜と上位陣との対戦が続く」と記事になるだろう。

 この場合、問題となるのが「皮切り」という言葉である。物事の始まりを表す言葉であることは何となくわかるが不思議な言葉だ。語源を調べてみると、最初に据える灸のことをいうそうだ。たしかにはじめて灸の治療を受けるとそれは痛いだろうと思う。言葉の世界は深くそして楽しい。

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