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沖縄、復帰から50年目に

日本の多くの地域では、旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代と歴史が進んできましたが、沖縄では旧石器時代→ 貝塚時代→グスク時代と歴史が進んできたことをご存知でしょうか?

15世紀から1879年まで、沖縄は琉球王国という国であったことをご存知でしょうか?

太平洋戦争末期には沖縄では過酷な地上戦が行われたことをご存知でしょうか?この戦い(沖縄戦)では、米国側に2万人、日本側には軍人と市民を含めて15万人以上の多大な犠牲を出した。中学校や女学校の生徒も戦争に参加させられた。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊に参加した生徒に多大な犠牲者が出た。

太平洋戦争終結後、沖縄県は日本から切り離されたことをご存知でしょうか?琉球政府が設置されたが、実質的にはアメリカの統治下に置かれた。通貨は初めは「B円」と呼ばれる日本円とは違う通貨が用いられたが、後にアメリカドルが使われた。そのため、沖縄に行くのにパスポートが必要であった。

1978年7月29日まで、沖縄では人は左、車は右側通行だったことをご存知でしょうか?アメリカ統治下で、様々な制度がアメリカに合わされており、交通についてもアメリカのルールが適用されていました。1972年5月15日、沖縄県は日本に復帰しましたが、交通に関するルールはその後6年以上日本の他の地域と異なっていました。

そして今でも沖縄県には185㎢におよぶ米軍基地があり、決して広いとはいえない沖縄県に全国の米軍基地の7割が集まっています。

沖縄は非常に魅力ある地域です。観光地として多くの人が訪れています。美しい海岸、独特の文化などが多くの人を魅了しています。沖縄が日本に復帰して50年を迎えます。この機会に沖縄の歴史、沖縄の現状、少しでも関心を持ってほしいと思います。

結婚記念日に

私たち夫婦の結婚記念日は5月4日です。先日4回目の結婚記念日を迎えました。この日を選んだのには理由があります。5月4日はみどりの日で祝日で必ず休みであること、仮に祝日法が改正になって、みどりの日がなくなったり他の日に移動しても、5月3日の憲法記念日と5月5日の子供の日に挟まれているから自動的に国民の休日になるため、夫婦でゆっくり過ごせるからです。

今年の結婚記念日はしないの寿司店で美味しい寿司をいただきました。他の夫婦よりも遅く結婚した分、一緒にいれる期間は短いかもしれませんが、美味しいものを食べ、美味しいお酒に良い、綺麗な景色を見て、美しい花を眺め、そして、たまには喧嘩をして、後悔なく一緒に生きたいと思います。

驚くべき光景

 先日、クルマに乗っていたら、驚くべき光景を目撃した。赤信号で停車している車のドライバーが、飲み終わった飲み物のペットボトルを道路脇の草むらに放り投げていた。私は思わず呆気に取られていたが、最近道路周辺のゴミが増えていることは気になっていた。30年くらい前は今よりもゴミ捨てのマナーは悪かったが、最近はずいぶん良くなったと思っていた。しかし、ここ数年はまた道路周辺のゴミがまた増えてきたという印象を持っている。とくにここ2年ほどは新型コロナウイルスの流行で地域や学校の清掃活動が行われなくなってきていることも影響しているのかもしれない。ネット上などで子どもや若い人の行動を批判する人は多いが、それは大人の振る舞いの影響も大きいと思う。私たちひとりひとりが子どもや若者に恥じない行動をしなければならないと思う。

トキワ荘、フォーエバー

 1952年、東京都豊島区南長崎に1軒の木造アパートが建築された。当時の東京によくある、2階建てで、4畳半トイレとキッチンは共用であった。そんなよくあるアパートは名前を知られることなく、1970年代か1990年代に建て替えられ、住んでいた人の思い出の中だけに残る存在であっただろう。しかし、1人の神様がこのアパートに住んだことでこのアパートの名は後に全国に知られるようになった。

 その神様とは、漫画の神様、手塚治虫。手塚は当時連載していた「漫画少年」という雑誌の編集者の紹介でトキワ荘に入居した。その後、「漫画少年」に連載を持っていた若手漫画家が次々と入居して、共同生活の場であり、切磋琢磨し合う場所になっていった。

 ここに住んだ漫画家は、前述の手塚治虫(「火の鳥」、「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」)のほか、石ノ森章太郎(「仮面ライダー」、「サイボーグ009」)、赤塚不二夫(「天才バカボン」、「おそ松くん」)、漫画家としての活躍は短かったが、寺田ヒロオ、森安なおや、ラーメン大好き小池さんのモデルとなった鈴木伸一などがいた。そして、オバケのQ太郎を合作し、「ドラえもん」、「パーマン」で知られる藤子・F・不二雄、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」が代表作である藤子不二雄Aがいた。

 トキワ荘に住んで漫画に人生をかけた漫画家は多くがこの世を去った。そして先日、藤子不二雄Aがこの世を去った。「忍者ハットリくん」も、「怪物くん」も大好きな作品だったから寂しさはある。しかし、トキワ荘に住んだ漫画家の作品はこれからもずっと読み継がれていくと思う。本当にありがとうございました。

50歳になって

 昨日50歳になりました。気がつけばあっという間でした。10代、20代はともかく、30代の頃はまだ最近だと思っていたら、あっという間に50歳になってきました。月日の流れというものは思っていたよりも早いのかもしれません。

 50歳になっての抱負ですが、そろそろ未来に何を残せるかを考えていかなければならない時期になっているのかと思います。好むと好まざるとに関わらず、人はいずれ死ぬ。そうなっても、世の中は続いていく。私はそんなに大したことができる人間だとは思っていないが、それでも何かを残しておきたいと思っている。その何かを考える年にしたいと思っている。

 そして、新型コロナウイルス感染症が治ったら、行ってみたいこと、会ってみたい人がたくさんある。もう少しかかるかもしれないが、そんな日を待ち遠しく思っている。

 最後に、私は、家族に、友人に、同僚に恵まれて幸せ者です。本当に感謝しています、そしてこれからもよろしくお願いします。

歴史を学ぶ意味

 高校生に苦手な教科のアンケートをとると、日本史や世界史が結構上位に来ることが多い。理由としては、「覚えることが多い」、「難しい漢字や読みにくい外国語の人物名や地名が出てくる」、「何のためにやるのかわからない」と言った理由が考えられる。確かに歴史は覚えないと理解できないことも多いし、入試や定期考査で点数をつけて序列化することが目的だからどうしても無味乾燥になってしまいがちだ。

 しかし、それで歴史嫌いが増えてしまうのはいかにももったいない話だし、大きな損出だと思う。歴史を知ることは今を知ることができるし、場合によっては未来を知ることができるとても面白い学問だと私は思っている。

 歴史は過去のことを扱っているのにどうして今や未来を知ることができるのか不思議に思う人がいるだろう。私が考えるには、過去も未来も、歴史は人間が作り、人間が行ってきたことの結果だからだと思っている。

 人間は700万年の歴史の中で大変素晴らしいものを作り上げてきた。人間が言葉を身につけることで、コミュニケーションが生まれ、音楽が生まれた。文字を発明することで、文学が生まれた。二足歩行をすることによって少ないエネルギーで長距離を移動できるようになり、地球上のほとんどの地域で生活するようになり、多様な生活様式が生まれた。手を自由に使えるようになり、石器にはじまり、土器、金属製品、そして現在様々な物を人間は生み出した。しかし、人間は様々な失敗をしてきたし今現在も失敗をし続けている。失敗の例は、犯罪、虐殺、差別、貧困、公害そして戦争だと思う。

 歴史を学ぶことは人間の営みの素晴らしさと時に愚かな失敗をしてしまうことを学び、私たちがどのように考え生きればいいかを示してくれる物だと考える。別に分厚い難しい本を読むだけでなく、今は漫画もあれば、映画、テレビ番組インターネットの動画などいろいろな方法がある。政治や歴史、社会の変化などむずかしい内容でなくてもいいと思う。例えば、ファッションは好きな人なら、ファッションの歴史を辿ってみるのも面白いし、スポーツ観戦が好きならスポーツの歴史もいい。アニメーションが好きなら、作品の舞台になった時代や国のことを調べてみるのもいい。

 歴史がもっとみんなにとって身近になれば、人間の素晴らしい営みがより光り輝き、愚かな失敗が少しでも減ると思う。そうなることをこころより願っている。

「変」ってなんですか?

私はどちらかと言うと子ども時代、「変な子ども」だった。人と同じものに興味を持ったり、人と同じ振る舞いをすることに時に違和感を感じることがあった。私の小学生時代、ようやく「キャプテン翼」のヒットなどでサッカーがメジャーになりつつあったが、まだまだその当時の私の周囲の男子小学生が好きなスポーツは野球だった。当時の子どもたちの話題の中心はプロ野球、野球アニメ、クルマだった。プロ野球と野球アニメは結構好きだったので、友達と楽しく会話ができたが、実はクルマの方はサッパリで、ドアが4枚ついていれば日産・サニーも、アウディ80(現在のアウディ・A4の前身)も同じものにしか見えなかった。しかも、ゴリゴリの鉄道少年でしかなかった私はどちらかというとクルマを鉄道から客を奪う敵とみなしていたくらいだった。しかし、当時の「普通」は、男子小学生はクルマに興味を持ち、スーパーカー消しゴムを持っているのが当たり前とされていた。

 話は変わって、元AKB 48で俳優の秋元才加さんも同じような疑問を感じていたようだ。彼女のコラムを読むと、彼女は父親は日本人、母親はフィリンピン人という家庭に育ち、日本的な「普通」に悩まされてきた。日本はかつては今よりも「普通」の幅が狭く、彼女のような外国にもルーツのある人は今よりも「変わった人と見られていて、嫌な思いもずいぶんしてたようだ。彼女はこう指摘する、「日本の方は日本のコミュニティだけで過ごすから、違和感への耐性が結構低いと思う」、私もそうだと思う。私もそういえば「あいつは変なやつだ」、「あの人は変わっているな」という言葉をつい使ってしまう。では、その「変」や「変わっている」の基準って一体なんだろう。結局それは造られた虚像のようなものなのかと思う。

 結局私たちは、多数派であること、人と同じであることに安心したいだけのものなのかもしれない。しかし、時代は変わって、いろいろな国にルーツを持つ人が生活するようになり、色々な考え方や価値観を持つ人が増えてきた。ここで、秋元才加さんのいう、違和感への耐性をもう少し上げて、いろいろな国の人やいろいろな考え方の人がもっと生きやすいようになる時ではないかと思う。まずは、もう少し心の窓を大きく開け、身近な人の違いを「変」、や「変わっている」ではなく、そうなんだと受け取ることから始めたい。

83歳の挑戦

 現在の日本の高齢化率(65歳以上の人の割合)は、2020年10月現在28.8%と年々上昇を続けている。75歳以上の人の割合に絞っても14.9%もあり、子ども(15歳未満)の12.0%と比べても断然多い。海外の方が日本に来て驚くのは子供の少なさと高齢者の多さだと言うが、数字の上からもなるほどその通りだなと思う。もっとも、必ずしも悲観することばかりではなく、最近の高齢者の方は元気な方が多く、現役で活躍されている高齢者の方もだいぶ多くなってきている。何より、最近の高齢者の方はとにかく身体も心も若い方が多い。40年くらい前は高齢者の方はいかにもおじいさん、おばあさんという感じだった。
 そんな中驚くべきニュースを聞いた。仕事帰りのクルマの中でラジオを聴いていたら、堀江謙一さんがヨットによる太平洋横断に挑戦するというニュースを耳にした。堀江さんは1962年、23歳の時に兵庫県の西宮市からアメリカのサンフランシスコまで小型ヨットで単独無寄港太平洋横断を成功させている。その後も数々のヨットによる航海に成功した。そして、今年3月から6月にかけて1962年の公開の逆コースで、サンフランシスコから西宮に向けてヨットでの単独太平洋横断に挑戦するという。83歳での挑戦に期待したいし、成功を心より祈りたい。

まるの思い出

 およそ20年前、まだ寒かったある日、当時私が勤めていた学校の体育館に段ボールの中にまだ目が開くか開かないかの子猫が2匹捨てられていた。寒さでブルブル震えている子猫が可哀想になり、1匹は同僚が連れて帰り、もう1匹は私がつれて帰った。
 家に連れて帰り、ミルクを飲ませてもまだ私を警戒した目で見ていた。段ボールに毛布を敷いてそこで寝かせると、静かに寝息を立てて寝始めた。冬の寒い夜の一人暮らしは例え男でも心細く、今日出会ったばかりの子猫であってもその存在は心強かった。私はその猫にまるという名前をつけた。まるは決して人懐っこい猫ではなかったが、それでもまるの存在は私にとっては大事なものであった。
 その後事情がありまるは近所に住んでいた母と一緒に暮らすようになったが、東日本大震災も生き延び、まるはすっかり家族の一員になった。母が病気になった後はまるは弟夫婦と一緒に暮らした。その頃にはまるも寄る年波で、腎臓が悪くなり動物病院のお世話になることも多くなっていた。足腰もだんだん弱っていたが、それでももう少し私たちの家族でいてくれると思ったが、ついに私たちのもとを去ってしまった。あと1月で20歳、人間で言えば95歳くらいであった。あっという間の年月であったがまると出会えたことは良い思い出だったと思う。

ありがとう

 今日は2021年12月31日、今年も今日で終わりです。皆様にとってこの1年はどのような年でしたか?今年はコロナ禍2年目、夏には大きな波が来て、秋にはやっと乗り越えたかと思ったら、年末には次の波がどうやら間近に迫っているようです。そのような状況で、今年もプライベートではあまり遠くに行けませんでしたが、自分の生活する地域で美味しい食べ物に出会ったり、季節の花を見たりすることのすばらしさに改めて気づきました。何より、家族や友人、親類、職場の人と一緒に過ごせた時間が何より素晴らしかったです。

 このブログももうすぐ18年目に入ります。今日現在のこのブログの通算の閲覧回数は172,901回です。1年あたりだと平均10,171回、1日だと平均27.8回になります。中には1度きりのご縁だった方もいると思います、また100回以上のご縁だったと思います。全ての出会いに感謝感激です。

 今年1年皆様には本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。そしてどうぞ良い年をお迎えください。

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