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蛭子さん的生き方

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 認知症を公表した漫画家でタレントでもある蛭子能収さん。周囲の協力もあり個展を開くことりなりました。

 高齢化が進行し、ますます認知症を患う人が増えると予想されるこの時代、自分らしく生き続ける蛭子さんの生き方は多くの人に希望を与えるだろう。何よりも、周囲の人と良好な関係を築いてきたからこそできたことだと思う。

忘れてはならないこと

 100年前の9月1日、関東大震災があった。この日の正午少し前、神奈川県の相模トラフで発生した地震は、マグニチュード7.9の規模の大きな地震で、首都圏一帯で震度6を観測した。この当時震度7はまだ設定されていなかったから、相当強い揺れであった。この地震で10万5000人余りの人が死亡、あるいは行方不明になったとされる。この地震では、昼前ということもあり、昼食に準備をしている家庭も多く、多数の火災が発生し、東京都墨田区にあった陸軍被服廠跡地をはじめ、多くの被災者が火災で死亡した。また、当時東京名所と言われた浅草の凌雲閣(浅草の12階)など多くの建物が倒壊した。

 この大震災で忘れてはならないのは、デマの怖さである。朝鮮半島出身者や社会主義者などが井戸に毒を入れたというデマが広がり、その結果数千人の人が殺害されたという報告もある。当時、朝鮮半島は日本に併合されており、同じ日本人同士の悲劇であった。未曾有に災害の中、一部の心無いもののデマにより、多くの人が恐怖心からパニック状態になり、自警団を結成し、朝鮮半島出身者と思われる人を見つけると暴行したと言われる。災害はそれ自体が恐ろしいものであるが、それによるデマはもっと恐ろしいものだと思う。このようなことがあったことは忘れてはならないと思う。

プロの仕事に感動する

 NHK第一放送(AMラジオ)に「夏休み子ども科学電話相談」という番組がある。子供の頃は図鑑大好き、いろんなことを知りたがっていた私にとってとても楽しみな番組だ。

 今は人に物を教えるようになると、子どもたちに回答する大学教授や様々な専門家の方の説明の仕方に注目するようになった。質問の内容によって、難しいことをわかりやすく説明しなければならないことがあり、様々な工夫や苦労をしながら回答している様子に感心している。

 今日、車を運転していながらラジオを聴いていたら、「雲の上に乗るにはどうしたらいいか」という小学校2年の女の子の質問に対し、回答した方の説明がまた見事であった。雲のできる仕組みや、人の体と雲の比重について、実にわかりやすい言葉で説明していた。私もこうなりたい、そう思うような見事さであった。さあ、明日から2学期か、頑張らなくっちゃ。

終戦の日に

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 先日、郡山市で所用があった際、少しだけ時間が空いたので、郡山の歴史散歩に行ってきた。4カ所ほど歩いたが、そのうち終戦の日にふさわしい1カ所を紹介したい。

 郡山駅から西へ進み、開成山公園を右に見ながら住宅地を進むと、左に木々に囲まれた学校が現れる。この学校は、福島県立安積高等学校という。歴史長い学校で、かつては福島県尋常中学校〜安積中学校といった。この学校の旧本館が現在でも保存されている。1889(明治22)年の建築で風格のある建物である。現在は安積歴史博物館として開放されているほか、経済産業省の近代化産業遺産に指定されたり、テレビドラマの撮影に利用されたりしている。

 館内は自由に見学することができ、明治時代の学校の雰囲気を味わうことができる。当時の教室そのままに残されている。そのほか、安積開拓や安積中学校辛安積高校の卒業生の業績や経歴に関する展示もされており、興味をひいた。

 その中で、私の心に最も響いた展示を紹介する。それは、歴史学者、朝河貫一(1873〜1948)が太平洋戦争中に残した言葉だ。朝河貫一は福島県二本松市出身、福島県尋常中学校、東京専門学校(早稲田大学の前身)、アメリカのイェール大学で学んだ。その後、アメリカと日本を行き来しながら、歴史学者、大学教授として活躍した。

 それでは、朝河貫一が将来のアメリカ国民と日本国民に残した言葉を転記する。

 「米国よ、国際連合が発足したとき、覇権を行使してはいけない。戦後、米国は謙虚さという学科を学ぶことによって、世界に現存する矛盾と不平等に思いを致し、そこから真の正義を考えなければならない。力を振りかざす正義感に立った政治伝道者的な態度は。反省しなければならない。」

 「日本よ、終戦後、日本は民主改革によって、再び大発展をとげるであれうが、軍部や権力者の指導に盲従して戦争に走った共同体的論理は、もはや捨て去ろう。民主主義においては、政体がそうなっているだけでは民主国家とはいえない。国民一人一人は常に道徳と責任を自覚するとともに、民主主義を勝手にゆがむる勢力にら対しても、これに打ち勝たなければならない。こうしてこそ平和と真の民主主義が訪れるのである。」

 今日は朝河貫一の言葉をかみしめながら平和と民主主義についてら考えたい。

人生とは

 人生を旅に例える人は多い。なるほど、過ぎたことは戻らないし、先のことはわからないからそうなのかもしれない。旅にもいろいろあるけれど、おそらく人生とは相当ひどい道をポンコツ車で旅するようなものだと思っている。間違ってもピーカンの晴れ間に一直線な高速道路をピカピカの高級車やスポーツカーでぶっ飛ばすわけではない。もちろんそんな時もあるのだろうが、時には真っ暗闇の下を走ることもあるだろうし、砂利道を走ることもあるのだろうし、山賊が出てくるような山道を走らねばならない時もある。交差点や分かれ道には標識なんてどこにもない。そのような中悩みながら道を選んでいくのが人生だと思っている。クルマだって相当ひどいものだ。いつも気持ちよく走ってくれるとは限らない。タイヤがパンクして立ち往生するかもしれないし、ギシギシ嫌な音を出しながら走っていくかもしれない。人の心と身体なんて実に脆いものだ。

 人生を誰と一緒に生きるか、それとも1人で生きるか、どのような形で一緒に生きるか選択することは非常に難しい。1人で生きることのメリットは非常に大きい。誰に気を使う必要もないから、好きなように生きることができるし、好きなことをして過ごすこともできる。しかし、何かあった時には1人で解決をしなければばならないし、寂しさに耐えなければならないことも多い。友人や親子、兄弟、親戚も大切な旅の仲間だ。しかし、友人で一生生涯を共にする関係というのはなかなかいないものだ。親は生まれた時から一緒にいて、自分を見守ってくれる存在だが、多くの場合、18歳から20代の間には独立して別の場所で生活を始める場所が多いだろう。そして親は先に旅を終えるものだ。子どもはどんどん成長して頼もしい存在だが、大きくなると別の道を歩むことが多い。兄弟は時間的には最も長い時間一緒に旅をすることができるが、就職や結婚で離れることが多い。親戚もまた然り。最も長い時間一緒に旅をすることができるのは、夫婦(同性、異性問わず)なのだろうと思う。真っ暗な道では手を取り合って不安を和らげながら、太陽の下では歌を口ずさみながら一緒に旅をしていくことになる。一昨日、夫婦として一緒に旅を始めた友人の姿を見ながらそんなことを考えた。

 新たな旅を始めた友人夫婦の旅が、楽しい旅になることを切に願う。

暑い

 気象庁のデータを見てみると、福島県いわき市の小名浜の月平均気温は、1910年には21.3℃であった。その後、1930年代までは20〜23℃くらいで推移していたが、1942年に24℃の壁を突破した。その後もじわじわと上昇し、21世紀に入ると23〜24℃が普通になる、そして、2022年は24.7℃で過去最も暑い7月になった。今年は月途中での数字だが、25.8と過去最高を更新した。

 地球温暖化が叫ばれてだいぶ経つが、今年の暑さは一層ひどい。どうか皆さん、暑さ対策は万全にしてください。そして、地球温暖化対策、本当に真剣に取り組まないと取り返しのつかない事態になりかねない。

いわき市といえば

 私が住む福島県いわき市といえばどんな町か、かつて面積が日本一であった広域都市、東北では工業製品出荷額が最も多い工業都市、漁業が盛んが水産都市、J2のいわきFCがあるサッカーの町、そのほかいろいろあると思うが、いずれもこれだというほどの決定的なものではない。しかし、これならいわき市の特徴だと声を大にして言えるものがある。それは、いわき市はフラダンスの町だ、これはいわき市の特徴として言えるものであろう。かつて炭鉱がたくさんあっったいわき市、炭鉱が斜陽化し、観光に運命をかけ作れたのが常磐ハワイアンセンター、目玉が豊富な温泉とフラダンスだった。常磐ハワイアンセンターで育ったフラガールたちは地元に根付き、今でもフラダンス教室があり、フラダンスを踊る人も多い、いわき市のゆるキャラはフラおじさんになったし、高校生のフラダンスの祭典、「フラガールズ甲子園」も開かれるようになった。今年は8月20日(日)にいわき文化芸術交流館アリオスで開かれます。いわき市が最も熱く燃える日、要注目です。

 

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いわき駅前にて

いわき駅前にフラおじさん「いわき市のゆるキャラ)と、ムコナ(JR東日本水戸支社のゆるキャラ)と高校生のフラガールがいてずいぶん賑やかなことになっている。どのようなイベントかはわからないが、とにかく賑やかになるのはいいことだ。

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おまえは日本が嫌いなのか?

 ネット上には色々な人がいて、色々な考え方がぶつかり合うのは日常茶飯事である。それは悪いことではなく、議論というものはお互いの思想、経験、知恵をぶつけ合う、実に人間らしい行為だと思っている。日本人の性としては、顔を突き合わせて議論をするよりもあとぐされのないネット上での議論が向いているのだろうと思う。

 ネット上の議論でお互いの意見が噛み合わないことはよくあることで、その時に、捨て台詞のように、「おまえは日本が嫌いなのか」、「そんなに日本のことが気に入らないのなら日本から出て行け」という言葉を相手にぶつける人がいる。主に、過去の日本の歴史や、現在の日本の政治や政党、政治家に関する議論、そして近い将来の日本の姿に関する予想についてそのような言葉が見られる。

 多くの場合、満州事変〜太平洋戦争敗戦までの時代の歴史認識や、現在の政治状況に関する議論、そして現在進んでいる日本経済の低迷と将来の日本の地位低下を心配している人にそのような言葉を向けられることが多い。おそらく、そのような言葉を投げかける人は、日本軍や日本政府が行った戦争は、アジア解放のための正しいもので、従軍慰安婦なんて存在せず、日本軍は正義の軍隊としていく先々で大歓迎され、日本軍は最強で、勇敢な将兵が揃って、戦争が始まったのはコミンテルンの陰謀だと考えたいのであろう。現在の政治状況は、中国、北朝鮮、ロシア、韓国の日本の周辺の国々が日本をいじめていて、現在の政権与党はどこまでも正しく、安倍元総理は日本を救う英雄で、彼らを批判するものは敵国に魂を売ったものだろうと考えているのだろう。そして日本の将来は明るく、何の心配もない、心配をしている者は日本を分断するための工作員とでも考えているのだろう。

 でも、ちょっと考えてほしい。世の中に誤りをしたことがない人間はいないし、長年権力の座にあるものが、権力の座にしがみついたり、不正を始めることは人類史上常に起きていることだ。間違いを正しく間違いだと認め、不正や権力の暴走を監視し、糾すのは逆に日本を愛している故の行為だと思う。未来を心配するのは未来に少しでも良い社会を残すための行為だと思う。一切の批判を許さない、それは日本を愛しているのではなく、日本が大好きな自分自身を愛しているにすぎないことだと思う。今もネット上に多くいる人たちにそのことだけは伝えたい。

どうするプーチン

 ロシアの民間軍事会社ワグネルとロシア軍が戦闘か?ロシアは事実上内乱状態に入ったと見るべきか。ロシアと関係の深いベラルーシのルカシェンコ大統領の動向にも注意を要する。うまくいけばプーチンが追い出されて戦争終結に向かうかもしれないが、戦争が泥沼の長期化する可能性もある。最悪のシナリオはプーチンが核兵器を使うことか。

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