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カテゴリー「旅行・地域」の215件の記事

2011.12.17

2011年12月 相馬市、南相馬市への交通機関(その2)

【南相馬市・相馬市~福島市】

○福島駅東口~南相馬市 福島交通バス
 従来の福島駅東口~相馬~南相馬線から変更になり、大幅にスピードアップしました。
 福島駅東口~南相馬駅前間、所要時間1時間50分、運賃1500円、3往復

 http://www.fukushima-koutu.co.jp/highway/temporary/soma_kawamata.html

○福島駅東口~相馬市 福島交通バス
 福島駅東口~相馬営業所(JR相馬駅まで徒歩3分) 所要時間1時間30分、運賃1000円、4往復

【南相馬市・相馬市~東京】
 福島駅までは上記のバス、福島駅からは東北新幹線

 なお、それぞれの朝1番のバスからの乗り継ぎは以下の通り

 相馬営業所7:30 福島交通バス 9:00福島駅東口
 福島駅9:19 MAXやまびこ・つばさ128号 10:30大宮・10:56東京

 原町駅前7:00 福島交通バス 8:50福島駅東口
 福島駅9:19 MAXやまびこ・つばさ128号 10:30大宮・10:56東京

 東京からの朝一番の乗り継ぎは以下の通り

 東京8:40 大宮9:06 やまびこ53号 10:11福島
 福島駅東口10:30 福島交通バス 12:00相馬営業所

 東京7:36 大宮8:02 やまびこ125号 9:14福島
 福島駅東口9:30 福島交通バス 11:20原ノ町駅

【南相馬市・相馬市~いわきし】
 福島駅までは上記のバス、福島駅からは福島交通・新常磐交通が運行する福島~いわき間の高速バスが便利です
 
 http://www.fukushima-koutu.co.jp/highway/02_06.html
 

2011.10.16

三陸海岸に日はまた昇るか

 前の三連休、3月11日以来ずっと気になっていた、宮城県の三陸沿岸の様子を見てきた。気仙沼、南三陸、石巻はいずれも津波で大きな被害を受けた。3月11日の夜、避難所となった学校の体育館で、ラジオから聞こえる「宮城県南三陸町志津川、壊滅と思われます」というニュースを聞いて耳を疑った。私は気仙沼には過去2回、南三陸にも2回、石巻には10回以上行ったことがあり、それぞれに思い出がある。さらに、石巻市の旧北上町には叔父が住んでおり、この当時連絡が取れていなく、その身を案じていた。幸い叔父も家族もその後無事が確認された。

 気仙沼も、南三陸も、石巻も、ひどい有様だった。がれきの撤去は進んでいるが、それが一層がらんとした印象に拍車をかけている。とくに南三陸がひどかった。さほど広くない市街地はきれいになくなっていた。わずかに病院やスーパーマーケットなどの鉄筋コンクリートの建物が形を残していた。それでも少しだけ、復興の足音も聞こえてきた。
 本来なら、この週末に女川、東松島、仙台、名取を訪れる予定だったが、金曜日から風邪をひいて寝込んでいたため、来週に延期することにした。それがまとまったら皆様にお伝えする予定です。

2011.10.06

「魏志倭人伝」の国々へ 11

【12月30日 邪馬台国へ】

 博多の空は雲に覆われていた。年末の博多は陰鬱と言ってもいいくらいの天気であった。博多駅のホームには、長崎行きの特急「かもめ」、ハウステンボス行きの特急「ハウステンボス」、佐世保行きの特急「みどり」の3本の列車を併結した長い列車飼が止まっていた。私は佐世保行き「みどり」の自由席に座った。

 特急列車は速度を上げ、南福岡、二日市と福岡の郊外の住宅地を走り抜ける。左側から筑豊本線の線路が迫ると原田。ここを過ぎると佐賀県に入る。基山を過ぎると雲が切れてきた。鳥栖を発車すると右に急カーブをとると長崎本線に入る。それからほどなく佐賀に着く。
 佐賀駅で予約していたレンタカーを借りる。今回のクルマはマツダ・デミオ。現行モデルはスペース効率第一主義で冷蔵庫のようなクルマばかりになってしまった国内市場に、大胆にもスタイリッシュなクルマを送り出してきた。車内は決して広々ではないが、2人程度なら必要十分なスペースがある。
 佐賀駅から市街地を抜け、国道34号線に入る。神埼市に入ると間もなく吉野ヶ里遺跡になる。このころには雨が降り出した。ここは広い遺跡なので雨が降ったら困るなと思っていたら、受付で傘をかしてくれた。年末で悪天候だから、お客は少ない。集落の周囲にめぐらされた堀は思った以上に立派だった。集落の中に入ると、ガイドの女性が話しかけてきた。いろいろ聞いてみたいこともあったので、ガイドをお願いすることにした。彼女の話す日本語がちょっときになったが、失礼なので黙っておく。

 望楼に上がって見る。この遺跡自体が小高いところにあり、望楼に上ると非常に眺望がきく。高い建物が無かった弥生時代にはすごい眺望だっただろうと思う。この遺跡には四角い竪穴式住居が見られるので、そんなことなどを聞いたみた。しばらく話しているうちに、彼女が韓国のプサン出身であることが分かった。そのうちに、吉野ヶ里遺跡のことから、韓国の生活のことに話題が移り、30分以上話し込んだ。

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2011.10.02

また会う日まで

 3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によって、JR常磐線は福島県いわき市の久ノ浜駅から宮城県亘理町の亘理駅までの110.6kmの区間が運休している。このうち、久ノ浜駅~広野駅間の8.4kmと、原ノ町駅~相馬駅~亘理駅間の47.7kmは列車代行バスが運行されている。しかし、福島第一原子力発電所の事故による警戒区域に相当する広野駅~原ノ町駅の間は、列車の運転はおろか代行バスの運転もできない状態である。さらに、福島第一原子力発電所の事故は、政府は盛んに冷温停止を目標として掲げているが、目標はそれではなく、燃料の取り出しと完全な廃炉。もっとも、メルトスルーした原子炉の燃料を取り出す技術がこの世に存在するのかは私にはわからない。また、かりに燃料を取り出せたとしても、原発周辺の市町村は相当線量が高く、人が住めるようになるにはどれくらいかかるのかはさっぱりわからない。そいうわけで、ひょっとしたら現在39歳の私は常磐線のこの区間(とくに富岡~浪江間)に二度と乗ることができないままこの世を去ることになることは決してあり得ない話ではないのである。

http://www.youtube.com/watch?feature=related&v=n6nKUxZiQMc&gl=JP

 上のリンクは、昨年の7月に常磐線の特急「スーパーひたち」50号の車窓を撮影した動画である。ちょうど、問題の区間が入っていて、貴重な動画である。今日の昼間、今後いつ見ることができるかわからない原ノ町~広野間の車窓風景を食い入るように眺めた。おもなポイントを下に記します。
  4分30秒 磐城太田駅通過・・・この少し先から原発事故による警戒区域になる(20km地点)
 16分30秒 浪江駅停車…双葉郡内最大の町
 21分…双葉駅通過 ここから次の大野駅の間が福島第一原発に最も近い地点
 25分…大野駅通過
 29分30秒…夜の森駅通過、つつじと桜の名所、風光明媚な駅でした
 33分30秒…富岡駅停車、駅は東日本大震災の津波で焼失した。福島第二原発の最寄り駅
 43分…木戸駅通過、次の広野駅との中間地点付近で警戒区域を抜ける
 47分…広野駅通過、ここから代行バスが運転されている
 53分…久ノ浜駅通過、ここから普通列車のみ運転再開
 67分30秒…いわき駅停車

 じつは、私が9歳から18歳まで過ごした家もこの動画に写っているのですが、どの地点かは内緒です。警戒区域に住んでいて、避難を余儀なくされている皆様、警戒区域外で放射線により健康被害に覚えている皆様。皆様の生活が1日でも早く元通りになることを心よりお祈りしています。また、新天地での生活を選んだ皆様には、新天地での生活が幸多いことを心よりお祈り申し上げます。そして、常磐線沿線にに列車の響きが1日も早く戻ることを心から願っています。
 

2011.08.13

2011年夏、飯舘・南相馬~最前線の町から

 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から5カ月が経過した8月12日、全住民が避難した飯舘村と、緊急時避難地域に指定されている南相馬市の現状を見てきた。

 阿武隈山地の小盆地にある川俣町から、県道を南相馬に向かって進む。カーブとアップダウンを何度も繰り返す。やがて、再び浅い盆地状の地形になると飯舘村である。県道を離れ、飯舘村役場に向かってクルマを進める。がらあきの道の端にクルマを止め、かつて田園風景だった

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 夏は高温多湿になるこの国では、たった5ヵ月放置されただけで、田畑は草むらになってしまう。それでも、畦道とビニールハウスの骨組みが、そこが人の手が入った土地であることを主張していた。田畑は、土があればそれでいいというわけではない。耕し、肥料を与え、草を抜き、手間暇かけてよい土を作っていくのである。原発事故はそんな小さな村の長年続いた営みを破壊してしまった。土壌の汚染が消え、再び作物ができるのは一体どれくらい先のことだろうか。

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 飯館村役場の玄関先には、現在の放射線量が電光掲示板で表示されていた。現在の放射線量は3.38マイクロシーベルト、ただちに生命に危険があるわけではないだろうが、やっぱり高い。村役場近くの住宅地も、人の気配がない。どうしてこうなってしまったのだろう。なぜ飯舘村の人はこのような目に遭わなければならなかったのだろうか。あまりにも理不尽な話だ。

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 鉛のように重い心を引きずって、飯舘村から南相馬市に向かった。峠を越え、坂道を下る。南相馬市の中心部、原町の市街地に入る。4月末に来た時には、ゴーストタウンのように人通りもなく、多くの店が閉まっていたが、今日の原町は少しにぎわいが戻っていた。
 東京都の上野駅から、水戸駅、いわき駅を経て仙台駅を結ぶJR常磐線の要衝、原ノ町駅は、まだ列車の運転は再開されてはいないが、仙台近くの亘理までの代行バスの運転が始まったから、わずかに賑わいが戻っていた。この駅は、駅前のホテルが駅弁の販売と、そば店を経営していた。ホッキ貝、鮭、イクラ、蟹がたっぷり入った浜弁当という弁当がうまかった。今日は駅弁の販売はないが、駅向かいの建物でそばを食べることができた。しょっぱい汁にぼてっとしたかきあげ、野暮ったい味だけど、再びこれを味わえる日が来るとは思っていなかった。嬉しいし、常磐線が再開する日まで頑張って店を続けてもらいたいと思う。しかし、現実は厳しい。宮城県山元町から福島県新地町までの区間は、津波の被害が大きく、現在の位置で復旧するか、山側に線路を移設するかさえ決まっていない。原ノ町以南は福島第一原発事故の警戒地域になって、復旧作業にすら撮りかかることはできない。線路は深く草に覆われ、アイボリーのボディの特急用車両はおころどころt黒ずんでいる。

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 原ノ町駅を離れ、国道6号線に入る。原町の市街地かよら、4kmほど南に行ったところに、福島第一原発から20kmの地点、がある。ここより手前は、不完全ながらも住民が生活できる地域、ここよりさきはそれができない地域、目に見える何かがあるわけではない、非常時と日常が混じり合った不思議な空間である。私は、検問の直前まで歩いて行った。検問の警官に会釈をして、目の前の警戒区域に目を向けた。今なお、日常生活を奪われ、離れた土地で生きることを余儀なくされた人が大勢いる。われわれはそのことを決して忘れてはならない。風向きが変わった、南からの風、つまり福島第一原発の方から吹いてくる風だ。畜生、負けてなるものか、俺たちは、福島県民は決して諦めないぞ。セシウムでもプルトニウムでもなんでも来い。私は仁王立ちになり胸一杯に原発からの風吸い込んだ。

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2011.08.11

震災に立ち向かう仙台近郊の鉄道にエールを送る

 8月7日に、仙台市の近郊にある2つの鉄道を訪ねた。ひとつは仙台空港鉄道。JR名取駅から分岐して、仙台空港までの鉄道で、快速電車で仙台駅から仙台空港駅まで17分で結ぶ。また、沿線の開発も進み、途中の杜せきのした駅は、イオンモール名取エアリと高架橋で直結しており、買い物客の利用も多い。美田園駅は、まだ開発途上だが、住宅や郊外型の店舗が建ち始め、将来的には利用客の増加が予想されている。もうひとつは、仙台市地下鉄南北線、太白区の富沢駅から仙台市の南の副都心である長町地区を経て、下町情緒あふれる若林区西部を通り、仙台市都心に至る。仙台駅では、東北新幹線・東北本線・仙石線・仙山線と接続し、西北部の住宅地への結節点である北仙台駅、青葉区から泉区にかけての丘陵地帯の住宅地を縦貫し、北の副都心である泉中央駅に至る仙台市の大動脈となる鉄道である。

 3月11日の東日本大震災は、これらの鉄道にも大きな被害を与えた。仙台空港鉄道では、美田園~仙台空港間のトンネルが津波のため水没するなど、大きな影響を受けた。仙台市地下鉄では、八乙女駅などに大きな損傷があり、4月末まで台原~泉中央間が運休になった。

 郡山から普通列車に乗った私は、うつらうつらとしながら名取駅まで来た。真新しい橋上駅の名取駅で、仙台駅からきた仙台空港鉄道の電車に乗る。座席が8割がた埋まっている。多額の復旧費用の捻出に苦労しそうな小さな会社であるが、この好況は福音となるだろう。杜せきのしたで、イオンモールに行く買い物客を降ろし、間もなく美田園駅に着く。線路の北側には田んぼが残っているが、そこにあるのは青々とした稲ではなく、茶色く枯れた草である。ここまで津波に襲われたのだろうか。

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 ここから、列車代行バスに乗り換える。バスの窓からは、列車からは見えなかった町の現状が見えてくる。歩道のマンホールが20~30cmくらい持ち上がっている。このあたりは田んぼを埋め立てた土地だから、液状化が起こったのだろうか。しばらくすると、海岸線近くの道に入る、「あれ、確かここは集落があったはずなのに…」海岸沿いに集落があったところはは、一面のあれt胃になっていた。時折、家の土台が残っていたり、ひしゃげたクルマが残っていたりする。ここに住んでいた人は一体どうなってしまったのだろう。暗澹とした気持になる。

 空港はきれいに整備されて、七夕飾りなどが飾られていた。国内線出発ロビーはにぎわいが戻っていたが、3階のレストラン街や屋上の展望デッキは閉鎖されたままだった。そして、国際線出発ロビーは人影が無い。

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 仙台空港から、岩沼市民バスで岩沼駅に出て、JR東北本線、仙山線と乗り継いで北仙台駅に着く。ここから仙台市地下鉄に乗り換える。七夕の期間だから、昼すぎの時間にもかかわらず電車は混んでいた。次の台原からは復旧した区間である。旭ヶ丘駅からは、森林公園が見える。掘割の黒松駅出ると、周囲の景色が里山になる。スピードを落として八乙女駅に入ると、ここからは泉区の中心部に入る。終点の泉中央駅から、写真を撮影しながら八乙女駅まで歩こうと思ったが、空に黒い雲が出て、雷鳴さえ聞こえてきた。こんな歳になっても雷は嫌いなので、泉中央駅近くのユアテックスタジアムをバックに走る電車の写真を撮ると、逃げるように泉中央駅に引き返した。

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 その後は、仙台駅まで地下鉄で出て、久しぶりに七夕を見物した。中央通りや東一番町は、すごいにぎわいだった。私は、勾当台公園の屋台で石巻焼きそばなど、宮城の味を堪能した。

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2011.06.23

「魏志倭人伝」の国々へ 9

 JR香椎線は2つの点で面白い路線である。ひとつは、福岡近郊を走る路線でありながら、博多にも天神にも、言い換えれば人の集まる繁華街をまるっきり無視したルートを選んだ点、もうひとつは、西戸崎駅、宇美駅と両端尾の駅が他の路線との乗り換えができない行き止まりの駅である点である。これは、この路線の歴史を紐解けば謎は解決するのである。この路線は、沿線で採れる石炭を西戸崎港まで運ぶ運炭路線として開業した。はじめは私鉄であったが、後に国有化された。福岡県の鉄道には、運炭を目的として建設された鉄道路線が多い。その多くは国鉄末期に廃止されたが、香椎線は福岡近郊であることが幸いし廃止を免れた。

 志賀島小学校前から西鉄バスに乗った私は、西戸崎駅前でバスを降りた。20分ほど何もない西戸崎駅前で時間をつぶした。香椎線の列車は国鉄時代に製造された古いディーゼルカーである。こいつは性能は非常に低いが、国鉄らしく質実剛健、丈夫で長持ちするように作られていて、製造から30年ほどたっているが、まだまだ走りそうだ。しかし、加速は非常に鈍い。のんびりと松林の間を走る。車窓がにぎやかになると香椎、鹿児島本線の乗り換え駅である。現在、西戸崎~博多間は香椎で乗り換えが原則であるが、列車本数が多く、特急、快速と速度の速い列車が多い鹿児島本線に香椎線の低性能な車両をもぐりこませるのは不可能だろう。
 香椎を過ぎると住宅地になる。アップダウンが多少でてくるから、低性能な車両はますますゆっくり走る。でも、こういうのんびり嫌いではない、嫌いではないがさすがに眠くなる。どれくらい眠っただろうか、目が覚めると駅名の看板が見えた。「長者原」しまった、乗り換える駅だ。のんびりとした列車からあわてて飛び降りる。
 長者原から篠栗線の快速列車に乗る。長者原駅でしばらく待つと、シルバーのボディのスタイリッシュな電車である。車内も凝っていて、向きを前後に転換することのできるシートは、木製のフレームに黒い本革が貼ってある。特急料金不要の列車としては全国有数の豪華な列車といっていいだろう。走りも、鋭い加速で全然違う。路線名にもなった篠栗を過ぎると山間部に入る。桂川から筑豊本線に入ると間もなく飯塚に着く。飯塚は直方と並んで筑豊炭田の中心的な町である。私も福島県いわき市出身なので、同じ旧産炭地の現状が気になっていた。そんな思いがあったが、飯塚の駅周辺の風景は、思ったよりも活気がありそうでほっとした。まぁあくまでも車窓から見た範囲であるが。飯塚を過ぎると、快速も停車駅が増える。この列車は折尾から鹿児島線に入るが、私はこのまま筑豊本線をたどって若松に向かう。そのため乗り換えるのだが、その乗り換えがけっこう面倒である。筑豊本線と鹿児島本線を乗り入れする列車は本来の折尾駅から少し離れた場所にある第二の折尾駅に停車する。ここから本来の折尾駅まで3分ほど歩いて乗り換える。ここで名物の駅弁であるかしわめしを買う。

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 折尾駅から若松行きの列車に乗る。政令指定都市である北九州市だが、沿線は何となくさびしく殺風景である。列車も空いていてあまり活気がない。しかしかしわめしは抜群に美味かった。よく煮込まれた鶏肉と鶏肉のスープがしみ込んだご飯、ふんわりとした錦糸卵、そして海苔が絶妙なハーモニーを奏でている。弁当を食べ終えるころ、列車はゆっくりと若松駅のホームに滑り込んだ。

2011.06.12

「魏志倭人伝」の国々へ 8

【12月19日 志賀島へ】

 私たち東北の人間から見ると、九州と言えばずいぶん暖かいところに思える。しかし、師走の福岡の風は冷たかった。私はホテルを出たが、部屋に引き返し、コートを着て改めて出なおした。外はどんよりとした曇り空である。ホテルのある住吉から中州を突っ切って、那珂川沿いに歩く。中州はながい夜が明け、町は眠っていたが、どういうわけか南新地だけは動いていた。神戸の福原と言い、そういう場所はなぜか朝が早い。

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 博多中学校を右に見て川沿いに進むと、福岡都市高速の高架橋が見えてきた。ここを過ぎると間もなく博多埠頭である。ここまでおよそ40分、すっかり身体は冷え切った。何か温かいものが飲みたい。博多埠頭のターミナルに入って、熱い缶コーヒーを飲む。そうしているうちに志賀島行きの船の出航時間が近づいてきた。志賀島行きの船は正確には福岡市営渡船という。観光的要素もあるが、海の中道の先端近くにある西戸崎や、志賀島の住民にとって福岡市中心部への最も早い交通手段である生活路線としての要素が強い航路である。船は胴体下部が2つにわかれている双胴船になっていて、なかなかかっこいい。

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 船は出航するとすぐにスピードを上げる。右側に見える国際ターミナルには韓国のプサン行きの大きなフェリーが停泊している。博多は古くから朝鮮半島、中国との窓口であったが、現在でもその機能は失われていない。西戸崎、大岳でお客を下し、最後は私ともうひとりのおじさん2人だけになって志賀島に着いた。ここまで33分、JR香椎線を使っても、西鉄バスを使っても倍くらいの時間がかかるだろう。
 さっそく、住宅地をあるき、金印公園を目指す。途中の志賀島小学校前で帰りのバス乗り場と時刻を確認する。ここを過ぎると、道路の向こうはすぐ海になる。後ろから高速船がやってきて、猛スピードで私を追い抜いて行った。プサン行きの高速船である。この船は博多とプサンをわずか3時間で結ぶ。新幹線で東京まで行くより早いのだ。このあたりのことは、福岡を理解するうえで押さえておかなければいけない点であろう。金印公園について金印のモニュメントを見て小休止する。ここでは、江戸時代の天明4年(1784年)に、ある農民が「漢委奴国王印」と刻まれた金印を発見した。印文の解釈には諸説あるようだが、いずれにせよ、この地域の王と中国の王朝とのつながりが古くからあったことは間違いないとみてよいだろう。

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2011.06.04

「魏志倭人伝」の国々へ 7

【12月28日 呼子でイカを味わう】

 私は港町が好きだ。海のある町で育ったから、潮の香りが好きだし、港の風景は懐かしく好ましく見えるし、うまい魚が食べられるのもいい。私の旅行の日程の中に、何らかの形で港町を入れるようにしている。そういう意味では、今回の旅行のハイライトはここ、呼子なのかもしれない。

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 港町を歩きながら、店を物色する。ここ呼子は近海の魚介類がおいしいが、とりわけイカ刺しが有名である。私は客がたくさん入っている店に狙いをつけ、イカ刺しを注文した。出てきたのは、ヤリイカの活け造りとミズイカの刺身であった。まず、まだ動いているヤリイカのゲソをいただく。口の中でイカの足が動くのはおもしろい感覚である。ついで、イカの胴体。「これはうまい!」歯ごたえ、甘み、そして旨味、文句のつけようのない美味さだ。これはビールも進む進む。最後に残ったゲソのてんぷらとご飯、味噌汁、おかずが出てくる。

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 ほろよいになり、バスターミナルにもどる。今度は、海沿いに唐津に戻るバスに乗るが、旅の疲れとビールのアルコールが身体の中で混じり合い、たちまち眠ってしまう。目が覚めたらすでに唐津の市街地に入っていた。その後、唐津くんちの大きな曳山展示場にいき、今の私のような真っ赤な顔をした魚の形の曳山と対面した。唐津から博多までは高速バスで戻る。唐津市街地を出たころから再び風雨が強くなる。有料道路は朝乗った筑肥線よりも山側を走っていたから車窓は今一つだったが、快適さでは通勤型電車の筑肥線よりはバスの方が上だった。有料道路から福岡都市高速道路に入り、終点の博多駅まで乗った。その後、博多駅の駅ビルや駅に発着する電車を見て過ごした。

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2011.05.30

「魏志倭人伝」の国々へ 6

【嵐の中で見たものは 12月28日】

 唐津発呼子経由波子岬行きの昭和バスの路線バスは、さっき列車を降りた西唐津駅を右に見ながら国道204号線を進む。ちょうど席は埋まっているが、地方のバス路線の常で、平均年齢が非常に高い、30人くらいのっているが、私は、おじいちゃんに連れられた5歳くらいの男の子と、部活帰りの女子中学生2名に次いで若い。唐津の市街地をでると、海沿いに走る国道ではなく、山間部をショートカットする県道に入る。さっき菜畑遺跡に行く時にも土砂降りの雨と突風に悩まされたが、再び風雨が強くなってきた。
 バス停ごとに少しずつお客を下し、再び海が見えると深い入り江の奥にある港町、呼子に着く。ここで客の入れ変わりがある。呼子を発車したバスは、坂を駆け上がり高い橋を渡る。川かと思って見てみたら波が立っている。深い湾である。橋を渡るとすぐに名護屋城であるが、バスは湾の入り口近くの集落に寄ってから名護屋城に向かう。まだるっこしいが景色がいいのでそのままバスに乗る。

 名護屋城でバスを降りる。ここには博物館があり、日本と朝鮮半島の文化交流を中心にさまざまな文物が収蔵されている。面白かったのは、朝鮮のトーテムポールのような人形や安宅船とよばれる当時の軍船だった。名護屋城は1592年、豊臣秀吉によって朝鮮遠征の基地として建てられた城である。かなり大きな城だったようで、5重7層の天守のほか、各大名の陣屋があり、当時の城としては、大阪城に次ぐ規模だったそうである。金箔を貼った屋根瓦も見つかっており、豊臣家のけた外れの経済力を物語っているといっていいだろう。私はいよいよ城内を散策し、豊臣秀吉の夢の跡をたどろうと思ったら、チケット売り場の女性から嬉しくない知らせを聞いた。「どちらからいらっしゃいましたか?」「福島からです」と答えた。女性はしばらく考え込んで「竜巻注意報がでているそうですから早めに戻ってきてください、無理だと思ったらすぐに引き返してください」と注意を受けた。おそらく、近県からの人だったら引きとめるつもりだったのであろう。

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 歩きだして間もなく、強い風の直撃を受ける。この風は福島のへろへろ台風よりよほど強い。立ち止まって両足で踏ん張っていないと吹き飛ばされそうである。そのうち、風が強くなるタイミングがわかるようになるった。なんとか天守跡までたどり着いたが、あまりの強風に秀吉の野望に思いをはせるどこどころではない。ほうほうの体で名護屋城を後にする。呼子までは歩いていこうと思っていたが、それどころではない。釣り餌のアオメエソの匂いのするタクシーを見つけてそれに乗って呼子まで行った。

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