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カテゴリー「旅行・地域」の268件の記事

さようなら「大垣夜行」

 かつて、日本の鉄道網の整備が進んでいたが道路網が貧弱であった頃、陸上輸送の主役は鉄道であった。その鉄道の中でも長距離の普通列車の役割は非常に大きかった。1950年10月号の時刻表によると、東海道本線の東京から大阪までを走り通す列車はわずか15本で、そのうち特急列車が2本(「つばめ」、「はと」)、急行列車が8本(うち1本は「銀河」、そして普通列車が5本であった。所要時間は特急列車で8時間、急行列車で10時間、普通列車で13時間である。普通列車で13時間かかるので、その日のうちに大阪に到着する普通列車は5本のうち2本だけであとは夜行列車であった。この時期、東海道線のみならず、東北本線、山陽本線、鹿児島本線等主要幹線に夜行普通列車が走っていた。しかし経済成長とともにスピードや快適性が求められるようになって夜行普通列車は徐々にその数を減らしていく。1968年10月のダイヤ改正では、東京〜大阪間に1本だけ残っていた夜行普通列車が廃止されることが決まっていたが、格安で旅行したい利用者の声に押されて、運転区間は下りが東京発美濃赤坂行き、上りが大垣発東京行きの夜行普通列車として存続することになる。後に、下り列車も大垣行きになり、この列車は「大垣夜行」と言われて、格安で旅行をしたい人に熱烈に支持され、とくに「青春18きっぷ」とよばれる普通列車で乗り放題の切符が発売される夏休みや冬休みの時期には始発駅には「大垣夜行」に乗ろうとする人が何時間も前から座席を確保しようとする姿が見られた。
 私も高校生から大学生の時期、上り列車に何回か乗車した。座席がリクライニングしない狭いボックスシートでお世辞にも快適な列車ではなかったが、車窓に見える名古屋、豊橋、浜松、静岡などの夜景は美しかったし、行き交う貨物列車やトラックの姿に日本経済のエネルギーを感じることができた。夏であれば車内から朝日を見ることもできた。東京駅には4時42分の到着であった。冬だとまだ真っ暗であったが、プラットホームに降りて深呼吸するとそこは間違いなく朝のひんやりした冷たい空気があった。私が利用していた時期のこの列車の大垣発車時刻が22時4分であったから、今でも時計の針が22時4分を指しているとこの列車のことを思い出す時がある。
 「大垣夜行」は、1996年には特急型車両を使用し、全席指定となった「ムーンライトながら」になり、それまでとは格段に快適な列車になったが、夜行列車のコスト高や、「青春18きっぷ」発売時期以外の利用の減少もあり、2009年3月からは夏休みや冬休みの時期だけ運転する臨時列車になった。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で旅行や出張などの長距離移動が減り、鉄道会社が深刻な減収に陥る状況になったことと、使用されてきた車両が老朽化が進んだことが決め手となり、2021年3月のダイヤ改正で正式に廃止されることになった。私の青春時代の思い出のひとつが消えることは残念であるが、私の心の中にはこれからも「大垣夜行」の思い出は残り続けると思う。

机上旅行のススメ

 もうすぐ年末年始で旅行シーズンになりますが、今年は新型コロナウイルスの流行で旅行や帰省を見合わせるという人も多いと思います。旅に出るのが何よりの楽しみという方に、机上旅行で楽しむという方法をお勧めします。

 時はおよそ35年前、鉄道少年だった私には有り余るくらいの時間はなかったが、旅に出るだけのお金はなかったし、そもそも自由に行きたいところに行くだけの自由もなかった。しかし、家には地図と時刻表とノートと鉛筆があった。そう、マリー・アントワネットじゃないけれど、「パンがないのならケーキを食べればいい。旅行に行くのなら旅行に行った気分になればいい」ということで、時刻表と地図を手がかりに日本のいろいろな場所へ机上旅行に行くことにした。幸い、地図には日本の市町村や主な山や川、遺跡などが書かれていたし、時刻表には国鉄(当時)の時刻ばかりではなく、主要な観光地に行く私鉄や路線バス。大都市圏の私鉄や地下鉄(初電や終電の時間しかわからなかったが)、国内航空路、フェリー航路などのほか、主なホテルや旅館、ユースホステルなどのほか駅弁などの情報が載っていて、これだけあれば大まかな旅行の計画は立てられた。今は地図と時刻表とノートと鉛筆に加えてスマートフォンやパソコンもあるから、当時では探しようもなかった都市部の私鉄の詳細な時刻表や、観光地と無関係な路線バスの時刻を調べることもできるし、観光地に行かなくても写真や動画を見ることができるし、どんなお土産があるのか、どんな郷土料理があるのかもすぐにわかるようになった。今年の年末年始は生活圏内でお金を使い、机上旅行を楽しむのもオツなものだと思います。

晩秋の色

 鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は、1978年(昭和53年)10月から12月にかけて、北海道の広尾から鹿児島県の枕崎まで最も遠回りの切符(13,319.4km、有効日数68日、運賃65,000円)を使って旅をした。その記録は翌年「最長片道切符の旅」として出版され、宮脇文学に代表作になった。この本に描かれているのは。単なる鉄道紀行にとどまらず、各地の紅葉をはじめとする自然の描写、1978年の鉄道や社会の様子を知ることができる簡潔で美しい描写が特徴的である。とりわけ印象的なのは、秋の日本列島を縦断して「日本の国菜は大根で、日本の国果は柿ではないか」という記述であった。当時は家の軒先に沢庵などの漬物を作るために大根を吊してあるのは普通のことだったし、庭に柿の木があり甘柿ならもいでそのまま、あるいは渋柿なら渋を抜いて家族で食べるのが当たり前だった。柿は全て食べずに少し残しておいてそれを鳥がついばんでいくのはよく見る光景だった。

 あれから40年と少しが過ぎ、世の中も移ろい、国菜と国果を取り巻く情勢も変わった。野菜や柿の多様化が進んだ。自宅で漬物を作る人は減ったせいか、地方に住んでいる私も家の軒先に大根を吊るしている光景はあまり見なくなった。柿の実がたわわに実っていても取り入れされずにそのまま残っている光景も見ることが増えてきた。それでも、茶色などの渋めの色合いに包まれる晩秋に大根の白や柿のオレンジ色は日本の景色を豊かにする存在だしできることなら変わってほしくないものだと思う。

未来をひらく燃料電池バス

 新常磐交通(福島県いわき市)が4月から運行している燃料電池バス「SORA」に乗りました。燃料電池バスは、水素と酸素の化学反応で電気を起こし、モーターで走るバスです。ディーゼルエンジンで走るバスと比べると排ガス中に窒素酸化物や二酸化炭素を含まないので環境負荷が少なく、電気(充電式)バスと比べると短時間でエネルギーの補充ができることが大きなメリットです。

 実際に乗ってみると快適性の高さに驚いた。ディーゼルエンジンだと振動がつきものだが、それがない、そして静か。インテリアも格段の進歩を遂げていて、ライトグレーとブラック基調のインテリアにライトブルーのシートは清潔感があり、シートバックの素材を薄くても硬くない素材に変えたことで、前のシートとの間隔が広くなった。車内のポールや天井も曲線的なデザインを用い、柔らかな印象になった。

 燃料電池バスは、現在、いわき駅〜郷ヶ丘〜鹿島ショッピングセンター(一部の便のみ)〜船戸イオンモール小名浜(一部の便のみ)〜小名浜車庫間で運用されている。これからこのようなバスが広まり、人と地球に優しい交通機関として親しまれることを願っています。

Google mapで世界旅行 アフガニスタン・バクトラ

 高校の世界史の教科書では、中国や西欧、近代以降のアメリカやアジア各国の歴史には触れるが、それ以外は割とあっさりとした記述になることが多い。授業時間数が限られているから取り扱える内容には限りがあるのはやむを得ないが少々不満もあった。私はそれ以外の地域の歴史について高校生の頃図書館に通って本を読み漁ったが、最も難解だったのは中央アジアの歴史だった。多くの民族や文化、宗教が入り乱れ、面白いけれど全体像を把握しにくかった。現在のアフガニスタン北部を中心とするバクトリアにかつてギリシャ系の国家があったと聞くと驚く人も多いと思う。グレコ・バクトリア王国というのがそれである。その首都がバクトラで、その後、大月氏国、クシャーナ朝でも繁栄した。クシャーナ朝の領域に現在のパキスタン北部のガンダーラがあり、カシニカ王のもと仏教美術が繁栄した。ガンダーラの仏教美術は後に日本にも影響を与えた。
 世界史の上で重要な役割を果たしたバクトリアだが、現在でもアフガニスタンの情勢は不安定でなかなか簡単に行くというわけにはいかない。今朝はGoogle mapで空からバクトラの遺跡を眺めた。長年の雨風でかつての城壁は崩れているが、それでもかつての繁栄を想像することは十分に可能だ。バクトラの遺跡の南側にはバルフという町があり、町の真ん中には青いモザイク状のタイルが美しいモスクがある。町の周囲は砂漠が多いアフガニスタンには珍しく緑が多く、ここに人が集まる条件はあるのだと納得する。想像力さえあればこんな形で自宅で世界旅行を楽しむ、それもまたいいものだと思う。

グリーンでスローに未来はある

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 いわき市小名浜地区で、環境省、いわき市、いわきタクシー、ソフトバンクなどが実施している「グリーンスローモビリティを活用した次世代交通システム実証」を体験した。10人乗りの小型電気バスを使用して、平日は小名浜地区の公共施設やイオンモール、ヨークベニマルなどを事前予約した人が乗れるオンデマンド運行、休日はアクアマリンパークを起終点にイオンモール、小名浜市街地、ララみゅうなどをめぐる路線バス的な運行を行う。私は平日に小名浜支所からアクアマリンパークまでのオンデマンド運行を利用した。

 黄色と黒の小型電気バスは全幅1900mm、全長4405mm、全幅はやや大きいが、全長が5ナンバー企画に入り、非常にコンパクト。今日は私1人と乗務員のみだが、定員の9人が乗ってもさほど狭くはなさそうだ。最高速度は19km/hだから、幹線道路ではややきついがのんびり大きな窓から街並みを眺めるのは気持ちがいい。小名浜支所からアクアマリンパークまで10分少々の旅であった。

 このグリーンでスローな小型電気バスは、小さいから病院の正面玄関やスーパーマーケットの玄関先まで乗り入れできるだろうし、駅前の細い道や住宅街の細かいところまで乗り入れができるだろう。また、速度が遅いから、歩行者とも共存できるだろうし、排ガスを出さないから自然公園や史跡でも使えそうだ。小さいし速度が遅いから幹線や長距離の路線には使えないが、駅やバスターミナルを起点に公共施設や医療機関、商業施設を巡回するバスや、既存のバスが入れない住宅地や集落を巡回するバスとして使えそうだ。そうなると、高齢で運転免許証を返納した人や、観光客、障害があって運転ができない人、外国から日本に働きにきている人など色々な人の頼れる足になる可能性があると思う。あとは、自動運転の機能が付くことだろう。

電車でgo! バスでgo!

クルマ(自家用車)とはとても便利なものである。時刻表がなく、いつでもどこにでも生きたい時間に行きたい場所に行くことができる。しかも自宅から目的地の駐車場まで、乗り換えもなく歩く必要もなく移動することができる。しかも、クルマの中は自分達だけの空間で、誰にも邪魔されることなく、電車やバスならいびきがうるさい人や大声で話す人に不快な思いをすることがない。それ故に、地方の人はクルマ中毒と言っていいほどどこに行くにもクルマしか使わない。私はそれは人生少々損をしているぞと言いたい。

昨日、私たちは自宅近くのバス停から路線バスでいわき駅前に出た。いわき駅前から高速バスで福島駅前に向かった。普段は私がクルマのハンドルを握ることが多いから、さほどよそ見をする訳にはいかない、バスの乗客になればよそ見をし放題になる。普段見れない景色が見放題というのはなんと素晴らしいことだろう。福島駅前に着いたら、駅近くの餃子屋さんに直行した。餃子といえば宇都宮や浜松が有名だが、福島も餃子の町なのだ。円盤餃子といって、小ぶりの餃子がフライパンの形そのままに並べてある餃子をつまみに真昼のビール、これは贅沢な気分だね。クルマでの旅なら、私か妻か、どちらかはビールを我慢しなければならなかったが、今回は2人でビールを飲める。腹が満ちたところで、飯坂線の電車に乗って飯坂温泉に行って温泉街の情緒を堪能して、再び飯坂線の電車で福島駅に戻った。少し疲れたので、駅ビルのカフェでコーヒーでも飲もうと思ったら、メニューには生ビールの文字が。結局、福島の町並みと行き交う電車を見ながら生ビールを堪能しました。その後、駅前のデパートで買い物を楽しみ、高速バスと路線バスを乗り継ぎ自宅へ戻りました。普段、クルマでの移動がほとんんどだった妻にとっては新鮮な経験だったようで、何度も楽しいと行っていました。

クルマの便利さや快適さを否定するつもりはさらさらありません。しかし、それが楽しさの幅を狭めているのだとしたら、もったいないことだと思います。地方の人こそ、たまには電車やバスに乗って、クルマでは行きにくい町の中心部や観光地に行ってみると楽しいと思います。美味しい料理にはお酒が合うし、お酒を飲んでも、電車やバスなら何の心配もいりません。そして、駅前にはその地域に根付いた店がたくさんある。たまには電車やバスでいつもと違う楽しみを!

喜連川を行く

栃木県さくら市の喜連川は江戸時代、喜連川氏(足利氏)5000石の城下町であり、奥州街道(江戸〜粕壁〜宇都宮〜喜連川〜白河)の宿場町でもありました。明治時代以降、東北本線や国道4号などの主要交通路は西側の矢板、西那須野を通るようになり、喜連川は発展が遅れました。その分、江戸時代の町割りや堀などが残っており、今にも武士がやって来そうな風景が残っていました。

この喜連川藩は江戸時代におよそ300家あった大名(300諸侯ともいいます)の中でも際立った特徴を持っています。まず、ひとつは最小の石高(米の取れ高)、大名は最低でも1万石、金沢にあった加賀藩は103万石、鹿児島にあった薩摩藩は73万石、仙台藩は62万石、貧乏大名を描いた映画、「超高速!参勤交代」の湯長谷藩(福島県いわき市)ですら1万5000石、つまり相当な貧乏大名であった。しかし、幕府からは特別扱いを受け、参勤交代の必要はなく、軍役などを課せられることもなく、簡単に言えば金のかかることをしなくてもいいし、幕府にこき使われることもなかった。何故そうなったかというと、家柄に自信のない徳川氏が自分たちにハクをつけるために、武士で最も家柄が高い足利氏の権威を頼ったというのが真相であろう。その喜連川藩はしたたかに生き延びた。今は小さな町である喜連川は、江戸時代には下野国(栃木県)で宇都宮に次いで栄えた宿場町だった。大きな城があり、二荒山神社があり、日光街道と奥州街道が分岐している宇都宮が栄えるのは当然として、奥州街道沿いにあるがさほど立地条件が良いとは思えない喜連川が栄えたのは、宿場町からの収入に頼った喜連川藩の涙ぐましい努力の賜物だと思われる。050383a63b78483ebf3b922af5b95071

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google mapで世界旅行 ① ベツレヘム(パレスチナ)

 およそ2020年前のパレスチナのベツレヘム。マリアという女性が馬小屋の中でひとりの男の子を産んだ。この男の子がナザレのイエス、キリスト教風に言えばイエス=キリストである。かれが開いた宗教はキリスト教と呼ばれ、現在では各宗派合わせて20億人以上の信者を抱える世界最大の宗教となった。彼の誕生日はクリスマスと呼ばれキリスト教の信者ではなくても参加する世界規模のイベントになっている。もっとも、ナザレのイエス(イエス=キリスト、私はキリスト教徒ではないので、歴史用語であるナザレのイエスを使いたい)の誕生日が12月25日である明確な証拠はなく、かつてインドからイランの地域で栄えたミトラ教の冬至の祭りを転用したものではないかと言われている。

 ナザレのイエスが生まれたベツレヘムは、パレスチナのヨルダン川西岸地域にあり、人口は3万2000人ほど。およそ3400年の歴史を持つ古い町で、ユダヤ王国、ローマ帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝、エルサレム王国、オスマントルコ帝国などの支配を受け、1947年から国連統治領になった。1967年の第三次中東戦争の結果イスラエルの占領下におかれることになった。1995年にイスラエル軍が撤退して、パレスチナ自治政府の統治下におかれることになった。この地域は古くからの文明の発祥の地で、多くの人や物が行きかう地域だが、その分長い間戦乱に見舞われてきた。

 さて、ではベツレヘムを旅してみよう。この町の最大の見どころは降誕教会だろう。ベージュのレンガででえきた教会はさすがに内部は広く荘厳な作りになっている。このベージュ色のレンガ(石)は、教会だけでなく、町の多くの建物に使われており、そのためか何となくまちなみがすっきりして見える。雨が少ないためか、町の中にも周囲にもそんなに木は多くなさそうだ。町は坂が多く、階段も多い、狭い階段を上るとどんな景色があるのだろうか?もっと先へ歩いてみたくなりそうだ。私が実際にベツレヘムに行くことはないかもしれないが、google mapを見ながら架空の旅を楽しむことができる、いい時代になったものだ。

道の数だけ物語がある~国道357号

 国道357号は、千葉市(JR浜野駅近くの村田町交差点)から、船橋市、浦安市、東京都に入って江戸川区、江東区、品川区、川崎市、横浜市を経て、横須賀市に至る国道である。現在のところ最も東京湾に近い国道で、多くの区間が首都高速湾岸線に併設されている。

 先日、横浜市の八景島から千葉市に向かって車で走ってみた。実はこの国道のうち、八景島から横須賀まではまだ開通していない。八景島もシーパラダイスに行く観光客を乗せたバスは末端まで行くことができるが、私のようなシーパラダイスに行かないものはその手前までしか行くことができない。幸浦から新杉田までは首都高速とシーサイドライン(新杉田駅から八景島駅を経て金沢八景駅を結ぶ鉄道)の高架に挟まれて走る。おおむね右側は工場や倉庫が並び右側は住宅地になっている。道路は広いが、足の悪い高齢者にとっては青信号のうちに横断歩道を渡るのが大変そうだ。湾岸線に乗りベイブリッジ、鶴見つばさ橋を渡ると東扇島。公園で弁当を広げる青空を見上げると、空が広い、首都圏でこんなに広い空が見られるところはそうないだろう。この一帯は工業・流通地域だが、土曜日でも人通りがある。平日は活気があるだろう。羽田空港を過ぎ、国道357号を一時離れ、城南島かたトンネルをくぐり東京ゲートブリッジを渡る。かなり高い橋だが、大きな船を通すためにはこのくらいの高さが必要だ。その後、国道357号に戻り、新木場から台場まで西に進む。台場周辺はすっかり副都心として完成した観がある。再びゲートブリッジを渡り若洲海浜公園からエレベーターでゲートブリッジに登り、空中散歩を楽しむ。北西に台場などの臨海副都心、東には東京ディズニーリゾートが見える。その後千葉県に入り、東京湾の貴重な干潟である谷津干潟に行った。

 感想としては、予想以上に変化がある風景で飽きなかった。そして、谷津干潟をはじめ、いろいろな形で自然を残す努力が見られることに感心した。惜しむらくは、道路の路側にたくさんのごみが落ちていたこと。「〇〇人の民度は低い」などという人がいるが、まず自分たちの足元をしっかりしないと。

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