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魅力多い只見線、再び

 久しぶりに喜ばしいニュースが入った。水害の影響で一部の区間で運転を休止していたJR只見線(会津若松駅〜小出駅)が10月に全線で運転を再開する。

 JR只見線は、福島県と新潟県にまたがり、会津若松駅を起点に、西若松駅、会津坂下(あいづばんげ)駅、会津川口駅、只見(ただみ)駅、小出駅を結ぶ全長135.2kmの路線である。会津若松駅では磐越西線、西若松駅では会津鉄道(ただし、会津鉄道の列車は会津若松駅まで乗り入れるため、会津若松〜西若松間は地元の人にも列車本数の多い会津鉄道の一部と認識されている場合が多い)、小出駅では上越線に接続している。

 沿線は極めて魅力的で、起点の会津若松駅と次の七日町駅周辺は、今なお城下町の面影を伝え、歴史と伝統工芸の町会津若松市の中心部にある。会津本郷駅周辺は本郷焼の窯元が並ぶ。会津盆地は歴史のある寺社が多く、駅から歩いて行けるものも多い。会津坂下駅で会津盆地が終わり、只見川に寄り添いながら山地に分け入る。会津柳津駅周辺には日本三大虚空蔵である柳津虚空蔵と、会津の雪景色を描いた作品で知られる、版画家の斎藤清の作品を集めた美術館がある。

 ここまでが只見線の序章と言っていいだろう。只見線の本領を発揮するのはむしろここからで、只見川に沿った狭い谷を走るようになる。ここは日本有数の豪雪地帯で、冬は相当な豪雪になる。実はこれが利用者の少ないローカル線ながら只見線がここまで生き残ってきた理由である。並行する国道252号が、福島県と新潟県の県境で冬季に通行止めになることが多く、只見線が唯一の交通機関になることが多い。そのような厳しい気候であるが、四季を通して景色は美しく、冬の雪景色は言うまでもなく、春の新緑、夏の只見川、秋の紅葉、いずれもすばらしい。沿線にはいくつも温泉があり、地酒や郷土料理も豊かな地方である。私も只見線運転再開後、新型コロナウイルスの感染状況を見ながらこの地域を再訪してみたいと思う。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その5

 常磐炭鉱内郷坑専用線は、常磐線内郷駅からいわき市内郷宮町峰根を結ぶ2.9kmの炭鉱専用鉄道である。比較的平坦で炭鉱の名残も残り、ゆっくり歩いても片道1時間少々のお手軽なコースである。

 内郷駅で電車を降り、跨線橋を渡る。まもなく新川にかかる橋を渡る。ここから廃線跡の散歩が始まる。新川の橋を渡るとまもなく福島県道66号に出る。かつての線路は県道66号の道幅を広げるのに使われたのだろう。マルト内郷店というスーパーマーケットの先で廃線跡は県道からななれ、狭い道路になっている。すぐに宮川を渡るが、道路の右側に当時の橋台がしっかり残っている。しばらく進むと、内郷坑の選炭場の跡がある。コンクリート造りの構造物は今でも健在で迫力がある。ここで地下から掘り出した石炭から不純物を取り除き、貨車に積み込んだ。非常に貴重な産業遺産だろう。しばらく見物をした。

 廃線跡は緩やかに左にカーブをしながら内郷第二中学校の前を通る。ここで廃線跡を外れて瑞芳寺というお寺に行く。このお寺には炭鉱事故で亡くなった人の慰霊碑がある。大きな石でできた慰霊碑にしばらく手を合わせる。

 再び廃線跡に戻るが、かつて鉄道は宮川に橋をかけて対岸に渡っていたが、今は橋がなく、しばらく廃線跡から離れる。私は宮川に沿って進む。それにしても暑い日だ、まだ4月だというのにすっかり初夏の陽気である。そのかわり花は綺麗だ。芝桜、藤、あやめ、つつじ、牡丹桜これは花のオーケストラだ。

 県道66号に合流してしばらく進み、上町田のバス停の先で県道から右にそれる。そのまま道なりに進むと峰根の終点である。道路の左側にレンガの構造物があり、石炭の積み込みを行なっていた。私はそこから少し足を伸ばして小さなお堂を見に行った、お堂にはお地蔵様がいて満開の牡丹桜があった。少し涼しい風が吹いてきた。

https://www.hotetu.net/haisen/Tohoku/100109jyoubanuchigousen.html
地図はこのページを参照してください。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その4

 好間川の鉄橋の先は古河電子の敷地と常磐自動車道いわき中央インターに遮られて廃線跡を辿ることはできない。狭い道を迂回して田んぼに挟まれた狭い道に出る。この道がかつての古河好間炭鉱専用鉄道である。左右から徐々に山が迫ってきて、目の前にも山が連なってくる。線路はごく緩やかに登っている。ここはいわき市北好間、終点まではもうすぐである。 

 十字路がある、その先で道路は右斜めにカーブをするが、線路はまっすぐ突っ切っていたようだ。かつての線路の跡は小さな公園のようになり、その先に墓地が見える。大抵の場合墓地は線路よりも昔からあるだろうから、線路は一体どこにあるのだろうと探してみたが見当たらない。よく見ると墓跡が割と新しいのでかつての線路は墓地の一部になったと考えていいだろう。

 線路はこの先やぶになって現在は通れないようなので、並行して走る道路を進む。園舎を改築中の幼稚園を右に見ながら進む。やがて北好間の集落に入っていく。私が子どもだった1980年代は古い炭住(炭鉱で働く人向けの社宅、多くが平家の木造の長屋だった)が多く残っていたが、今ではわずかに残るのみで、新しい家も多い。しかし、空き地になっているところも多く、空き家も見られる。旧産炭地の苦しい現状も決して無縁というわけではない。

 少し登りがきつくなり、左側から線路跡が近づくと終点は近い。右にカーブを切ると少し広い平地が現れる。ここが北好間の種移転があったところである。すでに太陽は西の山に落ちかけ薄暗くなりつつある。道路側の建物のシャッターに、ルパン3世のイラストが大きく描かれている、夕暮れ直近の景色でそのイラストだけが眩しく見えた。

 とりあえず、国道49号に出ようと坂を登る、急な坂を登っていると、父親と小学生くらいの女の子が楽しそうに話をしながら歩いていた。夕暮れのオレンジ色の光を浴びて美しく印象的な光景だった。

http://www.hotetu.net/ 地図はこちらのページの左側のメニューから、「鉱山鉄道(軌道)」を選び、「2010年1月吉日、好間炭鉱専用鉄道」のページを参照してください。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その3

 古河好間炭鉱専用鉄道は、トンネルで内郷地区と好間地区を隔てる低い丘陵地帯を越える。実際歩いてみるとわかることだが、この鉄道のルート選択には全く無駄というものがない。鉄道には今も昔も変わらず苦手なものがある。ひとつは急カーブ、自動車よりもはるかに車体の長い鉄道車両は小回りがきかない、そのため線路のカーブは道路とは違って緩やかな放物線状のカーブを描くことが多い。もうひとつ苦手なのは急勾配で、山が多い日本ではいかにして山を越えるかが鉄道建設の大きな課題だった。戦前の道路はできるだけトンネルを避けてつづら折りの坂道で山を越えることは多かったが、鉄道に関しては昔からトンネルを多用していた。

 トンネル2つを越え、好間地区に出ると、かつての線路は現在国道49号バイパスになっている。右側には現在は好間の住宅地が、おそらく当時は田んぼが多かったのだろう。そして前方には水石山というこの地域では高い山が目の前にそびえている。線路は緩い下り坂になり、機関士も気持ちよく運転できる区間になったのだろうと思う。

 1kmほどバイパスを進むと、左側に古河ロックドリルの工場が見えてくる。現在ではトンネル工事などでロックドリルが使われているが、昔は炭鉱や鉱山でロックドリルが使われていた。時代が変わって産業構造が変わっても歴史の生き証人はは何らかの形で残る、そしてここにはかつて古河好間炭鉱があった場所である。炭鉱の閉山後もいわき市内には古河系の企業が立地している。

 さらに進むと、前方に小さな山が見えてくる。バイパスは容赦なく山を切り通しで抜けていくが、線路は緩く右にカーブをして山の麓を走る。現在線路跡は生活道路になっている。ジャンボシュークリームで有名な白土屋菓子店の裏には稲荷神社があるがその参道も線路は突っ切っていたようだ。山を回り込むと、そのまま山の麓に沿って進み、やがて好間川にぶつかる。ここにはかつての鉄橋がそのまま残され、錆び付いてはいるが2本のレールもそのままの形で残されている。ここは第一級の産業遺産と言ってもいいだろう。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その2

 内郷駅は現在は小さい駅である。かつては貨物の取り扱いがあり、炭鉱への専用鉄道も複数あった。現在はその敷地の一部は駅北側の住宅地になっている。今回たどるのは古河好間炭鉱専用鉄道、内郷駅からいわき市好間町北好間を結ぶ5.7kmの鉄道である。開設は1908年、廃止は1972年である。

 内郷駅西側の住宅地から古河好間炭鉱専用鉄道を辿ってみる。しばらくは常磐線の線路と住宅地の間を進む。新川に架かる橋のところで一旦常磐線から少し離れる。鉄橋を特急ひたちがいわき駅に向けてラストスパートをかける。鉄道はどんなに時代が変わってもやっぱり素晴らしい。

 しばらく歩くと線路沿いにパチンコ店やスーパーマーケットがあり常磐線の線路から離れる。古河好間炭鉱専用鉄道はおそらくこれらの店舗の敷地を走っていたものと思われる。スーパーマーケットの少し先で左に緩やかに分岐している。ちょうど砂利が敷かれた空き地があるあたりである。この辺りは住宅地になり当時の面影はないが、少し先のジムの駐車場が道路に対して斜めになっている。これは、駐車場の敷地の一部がかつての線路だったからだろうと思う。バス通りを超えてかつての線路跡を辿っていくと、見覚えのある中華料理店に辿り着く、この店の駐車場も道路に対して斜めになっていて傾斜もついて何故だろうと思ったら線路跡を転用した敷地だからだろうと思う。

 中華料理店を過ぎて狭い道を左に曲がる。ここからははじめて歩く道である。住宅地を歩くと間もなく左側からかつての線路跡の築堤が見えてくる。築堤が小川を渡るときに赤れんが製の立派な橋台が残っている。廃線から既に50年、よく残っていたものと関心する。その先は築堤の上を歩けるようになる。線路跡を歩くのは気持ちがいい。人間には想像力という素晴らしい能力がある。ちょっと想像力を働かせば炭鉱に向けて列車が走っていく姿が想像できる。築堤をしばらく歩くと、線路はトンネルに突き当たる。残念ながらトンネルは通行禁止になっている。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その1

 かつて地球は動かず、太陽や月などの地球以外の天体が地球の周りを回っていたと考えられていたが、コペルニクスの観測により、地球が太陽の周りを回っているいわゆる地動説が唱えられ、地球や宇宙に関する見方が一変した。この現象をコペルニクス的転回というそうだ。新型コロナウイルス感染症の蔓延で遠くに旅行に行けなくなってはや2年、一向に終わりの見えない状況で一旦遠くに行く考えはやめて足元の地元の良さを見つめてみようと思った。

 私が住む福島県いわき市は、歴史の長いお寺や神社もあるし、美味しい店もある、きれいな太平洋もある。冷静に考えたら結構なんでもあるじゃないかと思う。いろいろあるが、今回は産業遺産としての鉄道を巡ってみようと思う。かつていわき市は日本有数の炭鉱があった。大需要地である首都圏に近いという有利な条件があったから、炭鉱全盛期には相当栄えた。しかし1960年代からのエネルギー革命で炭鉱は衰退し、1976年の常磐炭鉱の閉山で歴史を閉じた。しかし、現在でも炭鉱の痕跡は多数残っている。また、かつて炭鉱と常磐線の駅を結んだ貨物線もあり、その痕跡を辿ってみるのも楽しそうだと思った。今回は常磐線の内郷駅から出発する。内郷駅は常磐線のいわき駅から上り電車に乗って最初の駅、最近建て替えられた駅舎はコンパクトながら使いやすい。近くには高校の他病院も多く利用客の多い駅である。

さようなら「大垣夜行」

 かつて、日本の鉄道網の整備が進んでいたが道路網が貧弱であった頃、陸上輸送の主役は鉄道であった。その鉄道の中でも長距離の普通列車の役割は非常に大きかった。1950年10月号の時刻表によると、東海道本線の東京から大阪までを走り通す列車はわずか15本で、そのうち特急列車が2本(「つばめ」、「はと」)、急行列車が8本(うち1本は「銀河」、そして普通列車が5本であった。所要時間は特急列車で8時間、急行列車で10時間、普通列車で13時間である。普通列車で13時間かかるので、その日のうちに大阪に到着する普通列車は5本のうち2本だけであとは夜行列車であった。この時期、東海道線のみならず、東北本線、山陽本線、鹿児島本線等主要幹線に夜行普通列車が走っていた。しかし経済成長とともにスピードや快適性が求められるようになって夜行普通列車は徐々にその数を減らしていく。1968年10月のダイヤ改正では、東京〜大阪間に1本だけ残っていた夜行普通列車が廃止されることが決まっていたが、格安で旅行したい利用者の声に押されて、運転区間は下りが東京発美濃赤坂行き、上りが大垣発東京行きの夜行普通列車として存続することになる。後に、下り列車も大垣行きになり、この列車は「大垣夜行」と言われて、格安で旅行をしたい人に熱烈に支持され、とくに「青春18きっぷ」とよばれる普通列車で乗り放題の切符が発売される夏休みや冬休みの時期には始発駅には「大垣夜行」に乗ろうとする人が何時間も前から座席を確保しようとする姿が見られた。
 私も高校生から大学生の時期、上り列車に何回か乗車した。座席がリクライニングしない狭いボックスシートでお世辞にも快適な列車ではなかったが、車窓に見える名古屋、豊橋、浜松、静岡などの夜景は美しかったし、行き交う貨物列車やトラックの姿に日本経済のエネルギーを感じることができた。夏であれば車内から朝日を見ることもできた。東京駅には4時42分の到着であった。冬だとまだ真っ暗であったが、プラットホームに降りて深呼吸するとそこは間違いなく朝のひんやりした冷たい空気があった。私が利用していた時期のこの列車の大垣発車時刻が22時4分であったから、今でも時計の針が22時4分を指しているとこの列車のことを思い出す時がある。
 「大垣夜行」は、1996年には特急型車両を使用し、全席指定となった「ムーンライトながら」になり、それまでとは格段に快適な列車になったが、夜行列車のコスト高や、「青春18きっぷ」発売時期以外の利用の減少もあり、2009年3月からは夏休みや冬休みの時期だけ運転する臨時列車になった。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で旅行や出張などの長距離移動が減り、鉄道会社が深刻な減収に陥る状況になったことと、使用されてきた車両が老朽化が進んだことが決め手となり、2021年3月のダイヤ改正で正式に廃止されることになった。私の青春時代の思い出のひとつが消えることは残念であるが、私の心の中にはこれからも「大垣夜行」の思い出は残り続けると思う。

机上旅行のススメ

 もうすぐ年末年始で旅行シーズンになりますが、今年は新型コロナウイルスの流行で旅行や帰省を見合わせるという人も多いと思います。旅に出るのが何よりの楽しみという方に、机上旅行で楽しむという方法をお勧めします。

 時はおよそ35年前、鉄道少年だった私には有り余るくらいの時間はなかったが、旅に出るだけのお金はなかったし、そもそも自由に行きたいところに行くだけの自由もなかった。しかし、家には地図と時刻表とノートと鉛筆があった。そう、マリー・アントワネットじゃないけれど、「パンがないのならケーキを食べればいい。旅行に行くのなら旅行に行った気分になればいい」ということで、時刻表と地図を手がかりに日本のいろいろな場所へ机上旅行に行くことにした。幸い、地図には日本の市町村や主な山や川、遺跡などが書かれていたし、時刻表には国鉄(当時)の時刻ばかりではなく、主要な観光地に行く私鉄や路線バス。大都市圏の私鉄や地下鉄(初電や終電の時間しかわからなかったが)、国内航空路、フェリー航路などのほか、主なホテルや旅館、ユースホステルなどのほか駅弁などの情報が載っていて、これだけあれば大まかな旅行の計画は立てられた。今は地図と時刻表とノートと鉛筆に加えてスマートフォンやパソコンもあるから、当時では探しようもなかった都市部の私鉄の詳細な時刻表や、観光地と無関係な路線バスの時刻を調べることもできるし、観光地に行かなくても写真や動画を見ることができるし、どんなお土産があるのか、どんな郷土料理があるのかもすぐにわかるようになった。今年の年末年始は生活圏内でお金を使い、机上旅行を楽しむのもオツなものだと思います。

晩秋の色

 鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は、1978年(昭和53年)10月から12月にかけて、北海道の広尾から鹿児島県の枕崎まで最も遠回りの切符(13,319.4km、有効日数68日、運賃65,000円)を使って旅をした。その記録は翌年「最長片道切符の旅」として出版され、宮脇文学に代表作になった。この本に描かれているのは。単なる鉄道紀行にとどまらず、各地の紅葉をはじめとする自然の描写、1978年の鉄道や社会の様子を知ることができる簡潔で美しい描写が特徴的である。とりわけ印象的なのは、秋の日本列島を縦断して「日本の国菜は大根で、日本の国果は柿ではないか」という記述であった。当時は家の軒先に沢庵などの漬物を作るために大根を吊してあるのは普通のことだったし、庭に柿の木があり甘柿ならもいでそのまま、あるいは渋柿なら渋を抜いて家族で食べるのが当たり前だった。柿は全て食べずに少し残しておいてそれを鳥がついばんでいくのはよく見る光景だった。

 あれから40年と少しが過ぎ、世の中も移ろい、国菜と国果を取り巻く情勢も変わった。野菜や柿の多様化が進んだ。自宅で漬物を作る人は減ったせいか、地方に住んでいる私も家の軒先に大根を吊るしている光景はあまり見なくなった。柿の実がたわわに実っていても取り入れされずにそのまま残っている光景も見ることが増えてきた。それでも、茶色などの渋めの色合いに包まれる晩秋に大根の白や柿のオレンジ色は日本の景色を豊かにする存在だしできることなら変わってほしくないものだと思う。

未来をひらく燃料電池バス

 新常磐交通(福島県いわき市)が4月から運行している燃料電池バス「SORA」に乗りました。燃料電池バスは、水素と酸素の化学反応で電気を起こし、モーターで走るバスです。ディーゼルエンジンで走るバスと比べると排ガス中に窒素酸化物や二酸化炭素を含まないので環境負荷が少なく、電気(充電式)バスと比べると短時間でエネルギーの補充ができることが大きなメリットです。

 実際に乗ってみると快適性の高さに驚いた。ディーゼルエンジンだと振動がつきものだが、それがない、そして静か。インテリアも格段の進歩を遂げていて、ライトグレーとブラック基調のインテリアにライトブルーのシートは清潔感があり、シートバックの素材を薄くても硬くない素材に変えたことで、前のシートとの間隔が広くなった。車内のポールや天井も曲線的なデザインを用い、柔らかな印象になった。

 燃料電池バスは、現在、いわき駅〜郷ヶ丘〜鹿島ショッピングセンター(一部の便のみ)〜船戸イオンモール小名浜(一部の便のみ)〜小名浜車庫間で運用されている。これからこのようなバスが広まり、人と地球に優しい交通機関として親しまれることを願っています。

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