カテゴリー「鉄道」の159件の記事

魅力多い只見線、再び

 久しぶりに喜ばしいニュースが入った。水害の影響で一部の区間で運転を休止していたJR只見線(会津若松駅〜小出駅)が10月に全線で運転を再開する。

 JR只見線は、福島県と新潟県にまたがり、会津若松駅を起点に、西若松駅、会津坂下(あいづばんげ)駅、会津川口駅、只見(ただみ)駅、小出駅を結ぶ全長135.2kmの路線である。会津若松駅では磐越西線、西若松駅では会津鉄道(ただし、会津鉄道の列車は会津若松駅まで乗り入れるため、会津若松〜西若松間は地元の人にも列車本数の多い会津鉄道の一部と認識されている場合が多い)、小出駅では上越線に接続している。

 沿線は極めて魅力的で、起点の会津若松駅と次の七日町駅周辺は、今なお城下町の面影を伝え、歴史と伝統工芸の町会津若松市の中心部にある。会津本郷駅周辺は本郷焼の窯元が並ぶ。会津盆地は歴史のある寺社が多く、駅から歩いて行けるものも多い。会津坂下駅で会津盆地が終わり、只見川に寄り添いながら山地に分け入る。会津柳津駅周辺には日本三大虚空蔵である柳津虚空蔵と、会津の雪景色を描いた作品で知られる、版画家の斎藤清の作品を集めた美術館がある。

 ここまでが只見線の序章と言っていいだろう。只見線の本領を発揮するのはむしろここからで、只見川に沿った狭い谷を走るようになる。ここは日本有数の豪雪地帯で、冬は相当な豪雪になる。実はこれが利用者の少ないローカル線ながら只見線がここまで生き残ってきた理由である。並行する国道252号が、福島県と新潟県の県境で冬季に通行止めになることが多く、只見線が唯一の交通機関になることが多い。そのような厳しい気候であるが、四季を通して景色は美しく、冬の雪景色は言うまでもなく、春の新緑、夏の只見川、秋の紅葉、いずれもすばらしい。沿線にはいくつも温泉があり、地酒や郷土料理も豊かな地方である。私も只見線運転再開後、新型コロナウイルスの感染状況を見ながらこの地域を再訪してみたいと思う。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その5

 常磐炭鉱内郷坑専用線は、常磐線内郷駅からいわき市内郷宮町峰根を結ぶ2.9kmの炭鉱専用鉄道である。比較的平坦で炭鉱の名残も残り、ゆっくり歩いても片道1時間少々のお手軽なコースである。

 内郷駅で電車を降り、跨線橋を渡る。まもなく新川にかかる橋を渡る。ここから廃線跡の散歩が始まる。新川の橋を渡るとまもなく福島県道66号に出る。かつての線路は県道66号の道幅を広げるのに使われたのだろう。マルト内郷店というスーパーマーケットの先で廃線跡は県道からななれ、狭い道路になっている。すぐに宮川を渡るが、道路の右側に当時の橋台がしっかり残っている。しばらく進むと、内郷坑の選炭場の跡がある。コンクリート造りの構造物は今でも健在で迫力がある。ここで地下から掘り出した石炭から不純物を取り除き、貨車に積み込んだ。非常に貴重な産業遺産だろう。しばらく見物をした。

 廃線跡は緩やかに左にカーブをしながら内郷第二中学校の前を通る。ここで廃線跡を外れて瑞芳寺というお寺に行く。このお寺には炭鉱事故で亡くなった人の慰霊碑がある。大きな石でできた慰霊碑にしばらく手を合わせる。

 再び廃線跡に戻るが、かつて鉄道は宮川に橋をかけて対岸に渡っていたが、今は橋がなく、しばらく廃線跡から離れる。私は宮川に沿って進む。それにしても暑い日だ、まだ4月だというのにすっかり初夏の陽気である。そのかわり花は綺麗だ。芝桜、藤、あやめ、つつじ、牡丹桜これは花のオーケストラだ。

 県道66号に合流してしばらく進み、上町田のバス停の先で県道から右にそれる。そのまま道なりに進むと峰根の終点である。道路の左側にレンガの構造物があり、石炭の積み込みを行なっていた。私はそこから少し足を伸ばして小さなお堂を見に行った、お堂にはお地蔵様がいて満開の牡丹桜があった。少し涼しい風が吹いてきた。

https://www.hotetu.net/haisen/Tohoku/100109jyoubanuchigousen.html
地図はこのページを参照してください。

雷都に走るライトレール

 路面電車と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。古臭くて、遅く、あまり快適ではなく、車の運転の邪魔になる迷惑な、しかしレトロで観光資源になるというイメージを持つ方が多いのではないかと思う。しかし、最近導入された路面電車は、快適性も大幅に上がり、車椅子の人でも身体が不自由な人でも乗り降りしやすい人に優しい車両が増えてきている。

 路面電車はどちらかと言えば、西高東低の傾向がある。西日本では鹿児島や熊本、長崎、広島、大阪、京都、松山、高知など路面電車が活躍している都市が多いが、東日本では函館や札幌の他は東京に都電荒川線が残るのみである。そのような中、宇都宮に路面電車の工事が進んでおり、2023年3月には開業する予定になっていることをご存知だろうか。

 宇都宮駅から東には鉄道路線がなく、清原工業団地という国内最大規模の工業団地や栃木県グリーンスタジアムなどのスポーツ施設、宇都宮大学部、作新学院大学などの学校、ベルモールという大型商業施設、ゆいの杜などの住宅地もある。しかも、途中には鬼怒川が南北に流れ、国道4号も南北に走っている。車を運転した方はご存知だと思うが、大きな川や幹線道路の前後は渋滞スポットになりやすい。宇都宮駅の東側も交通需要が多いにも関わらず渋滞が多く、抜本的な渋滞解消が求められていた。

 とはいえ、宇都宮を含む関東地方北部は日本で最も自家用車依存が進んだ地域である。新しい道路を作ればいいじゃないかという意見もあるだろう。しかし、宇都宮市の人口は52万人、周辺の市町村も含めた都市圏人口は166万人、これは新潟や熊本の都市圏人口よりも大きく、岡山の都市圏人口に匹敵する。しかも、宇都宮駅から東側には都市機能があまりに集中しすぎているので、新しい道路を作るだけでは抜本的な解決は困難だろうと思う。

 少し昔なら宇都宮駅からモノレールなどを建設するようになっていただろう。モノレールは道路の上に建設されて車の通行の支障にならない。しかし、利用者に階段などの垂直方向の移動をしいてしまうという大きな欠点がある。また、建設費が高額になり、その結果運賃が高くなり、利用者の経済負担も多くなる。

 路面電車にするメリットは、利用者に垂直方向の移動をしいないことである。低いプラットフォームから低床車両にスムーズに乗ることができる。もちろん、車椅子の人もベビーカーを押した人も苦労する必要はない。建設費用も抑えられるから運賃も安くなるだろう。しかし、路面に線路が敷かれるということは車線を片側1本潰されるということで、車を運転する人の反発が大きかった。実際、宇都宮市の市長選挙では路面電車の新設の是非が大きな争点になったこともある。

 とはいえ、私は路面電車の開業は車を運転する人にもメリットがあると考える。鉄道には長所と短所があるが、最大の長所は多くの人を安全に輸送することである。少し古いデータだが、2015年の交通センサスでは、東京を走る山手線の上野→御徒町間では、ラッシュ時のピークの1時間に63,720人が利用したそうだ。上野→御徒町間の距離は1kmもない。しかも、上野から御徒町までの外回り電車だけの数字である。道路でいうなら、1kmもない一方通行の道路に1時間に6万人以上の人が人が車に乗って安全に移動できる。そんなことはどうやっても無理だろう。

 宇都宮の路面電車は山手線の車両よりも小ぶりであるから、そこまでの輸送力はないが、それでも道路1車線を余裕で越える輸送力はあると考えていいだろう。路面電車ができてかえって道路が空いたという現象もありうると私は思っている。

 宇都宮は雷が多い町だという。イナヅマをイメージした黄色いカラーが入った電車が宇都宮の街を颯爽と走ることを考えると今から楽しみである。

https://u-movenext.net/ 宇都宮ライトレール

2022年3月ダイヤ改正

 私たちが生活で使っている暦の1年の始まりは1月、多くの会社や官公庁、学校などの会計年度の始まりは4月、では鉄道会社にとっての1年の始まりは3月なのかもしれない。近年JRのダイヤ改正は昨日、3月11日に行われた。

 近年の大きなダイヤ改正としては、1988年3月に青函トンネル、4月に瀬戸大橋の開業によって行われた改正があり、本州から北海道、四国まで鉄道の乗り継ぎで行けるようになった。1992年3月ダイヤ改正では東海道新幹線にのぞみ号が運行を開始し、東海道新幹線の最高速度が270km/hに引き上げられた。その他、1980〜90年代は、新幹線や在来線特急における新型車両投入におけるスピードアップやサービス向上、都市部の在来線の増発や快速電車の運転による速達化など攻めの姿勢が強い時期だった。

 2000年以降は東海道本線・横須賀線と東北本線(宇都宮線)・高崎線を渋谷、新宿、池袋経由で直通運転する湘南新宿ラインや貨物線を転用して大阪都市圏の鉄道空白地帯を埋めるおおさか東線など、これまでの発想にとらわれない新しい運行系統の開業があった。一方、大阪から金沢、新潟、秋田を経由して青森を結ぶ特急「白鳥」や、夜行列車の削減など、効率化を進めた時期でもある。

 2010年以降は東北新幹線と九州新幹線、北陸新幹線の延長や北海道新幹線の開業があり、東京から新青森、新函館北斗、富山、金沢、新大阪から熊本、鹿児島中央などが乗り換えなしで行けるようになった。一方、地方の過疎化は一層深刻になり、ローカル線の廃止も相次いだ。しかし、地方路線を中心に、魅力ある観光列車も多数登場し、多くの人に鉄道旅行の魅力と楽しさをアピールすることに成功した。

 今回のダイヤ改正では、新型コロナウイルス感染症の流行が長期化していることに伴い、通勤や出張、観光などの需要が大幅に減少していることに伴い、近年にはない厳しいダイヤ改正になった。新幹線や在来線特急、朝夕の普通列車などの運行本数の削減、東北地方や北海道の利用の少ない駅の廃止など、かつてない寂しい内容になった。しかし、今は試練の時、いつか新型コロナウイルスの流行も収束に向かうか、季節性の感染症としてうまく共存できるようになるから、その時には新しい列車やサービスの登場を願っている。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その4

 好間川の鉄橋の先は古河電子の敷地と常磐自動車道いわき中央インターに遮られて廃線跡を辿ることはできない。狭い道を迂回して田んぼに挟まれた狭い道に出る。この道がかつての古河好間炭鉱専用鉄道である。左右から徐々に山が迫ってきて、目の前にも山が連なってくる。線路はごく緩やかに登っている。ここはいわき市北好間、終点まではもうすぐである。 

 十字路がある、その先で道路は右斜めにカーブをするが、線路はまっすぐ突っ切っていたようだ。かつての線路の跡は小さな公園のようになり、その先に墓地が見える。大抵の場合墓地は線路よりも昔からあるだろうから、線路は一体どこにあるのだろうと探してみたが見当たらない。よく見ると墓跡が割と新しいのでかつての線路は墓地の一部になったと考えていいだろう。

 線路はこの先やぶになって現在は通れないようなので、並行して走る道路を進む。園舎を改築中の幼稚園を右に見ながら進む。やがて北好間の集落に入っていく。私が子どもだった1980年代は古い炭住(炭鉱で働く人向けの社宅、多くが平家の木造の長屋だった)が多く残っていたが、今ではわずかに残るのみで、新しい家も多い。しかし、空き地になっているところも多く、空き家も見られる。旧産炭地の苦しい現状も決して無縁というわけではない。

 少し登りがきつくなり、左側から線路跡が近づくと終点は近い。右にカーブを切ると少し広い平地が現れる。ここが北好間の種移転があったところである。すでに太陽は西の山に落ちかけ薄暗くなりつつある。道路側の建物のシャッターに、ルパン3世のイラストが大きく描かれている、夕暮れ直近の景色でそのイラストだけが眩しく見えた。

 とりあえず、国道49号に出ようと坂を登る、急な坂を登っていると、父親と小学生くらいの女の子が楽しそうに話をしながら歩いていた。夕暮れのオレンジ色の光を浴びて美しく印象的な光景だった。

http://www.hotetu.net/ 地図はこちらのページの左側のメニューから、「鉱山鉄道(軌道)」を選び、「2010年1月吉日、好間炭鉱専用鉄道」のページを参照してください。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その3

 古河好間炭鉱専用鉄道は、トンネルで内郷地区と好間地区を隔てる低い丘陵地帯を越える。実際歩いてみるとわかることだが、この鉄道のルート選択には全く無駄というものがない。鉄道には今も昔も変わらず苦手なものがある。ひとつは急カーブ、自動車よりもはるかに車体の長い鉄道車両は小回りがきかない、そのため線路のカーブは道路とは違って緩やかな放物線状のカーブを描くことが多い。もうひとつ苦手なのは急勾配で、山が多い日本ではいかにして山を越えるかが鉄道建設の大きな課題だった。戦前の道路はできるだけトンネルを避けてつづら折りの坂道で山を越えることは多かったが、鉄道に関しては昔からトンネルを多用していた。

 トンネル2つを越え、好間地区に出ると、かつての線路は現在国道49号バイパスになっている。右側には現在は好間の住宅地が、おそらく当時は田んぼが多かったのだろう。そして前方には水石山というこの地域では高い山が目の前にそびえている。線路は緩い下り坂になり、機関士も気持ちよく運転できる区間になったのだろうと思う。

 1kmほどバイパスを進むと、左側に古河ロックドリルの工場が見えてくる。現在ではトンネル工事などでロックドリルが使われているが、昔は炭鉱や鉱山でロックドリルが使われていた。時代が変わって産業構造が変わっても歴史の生き証人はは何らかの形で残る、そしてここにはかつて古河好間炭鉱があった場所である。炭鉱の閉山後もいわき市内には古河系の企業が立地している。

 さらに進むと、前方に小さな山が見えてくる。バイパスは容赦なく山を切り通しで抜けていくが、線路は緩く右にカーブをして山の麓を走る。現在線路跡は生活道路になっている。ジャンボシュークリームで有名な白土屋菓子店の裏には稲荷神社があるがその参道も線路は突っ切っていたようだ。山を回り込むと、そのまま山の麓に沿って進み、やがて好間川にぶつかる。ここにはかつての鉄橋がそのまま残され、錆び付いてはいるが2本のレールもそのままの形で残されている。ここは第一級の産業遺産と言ってもいいだろう。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その2

 内郷駅は現在は小さい駅である。かつては貨物の取り扱いがあり、炭鉱への専用鉄道も複数あった。現在はその敷地の一部は駅北側の住宅地になっている。今回たどるのは古河好間炭鉱専用鉄道、内郷駅からいわき市好間町北好間を結ぶ5.7kmの鉄道である。開設は1908年、廃止は1972年である。

 内郷駅西側の住宅地から古河好間炭鉱専用鉄道を辿ってみる。しばらくは常磐線の線路と住宅地の間を進む。新川に架かる橋のところで一旦常磐線から少し離れる。鉄橋を特急ひたちがいわき駅に向けてラストスパートをかける。鉄道はどんなに時代が変わってもやっぱり素晴らしい。

 しばらく歩くと線路沿いにパチンコ店やスーパーマーケットがあり常磐線の線路から離れる。古河好間炭鉱専用鉄道はおそらくこれらの店舗の敷地を走っていたものと思われる。スーパーマーケットの少し先で左に緩やかに分岐している。ちょうど砂利が敷かれた空き地があるあたりである。この辺りは住宅地になり当時の面影はないが、少し先のジムの駐車場が道路に対して斜めになっている。これは、駐車場の敷地の一部がかつての線路だったからだろうと思う。バス通りを超えてかつての線路跡を辿っていくと、見覚えのある中華料理店に辿り着く、この店の駐車場も道路に対して斜めになっていて傾斜もついて何故だろうと思ったら線路跡を転用した敷地だからだろうと思う。

 中華料理店を過ぎて狭い道を左に曲がる。ここからははじめて歩く道である。住宅地を歩くと間もなく左側からかつての線路跡の築堤が見えてくる。築堤が小川を渡るときに赤れんが製の立派な橋台が残っている。廃線から既に50年、よく残っていたものと関心する。その先は築堤の上を歩けるようになる。線路跡を歩くのは気持ちがいい。人間には想像力という素晴らしい能力がある。ちょっと想像力を働かせば炭鉱に向けて列車が走っていく姿が想像できる。築堤をしばらく歩くと、線路はトンネルに突き当たる。残念ながらトンネルは通行禁止になっている。

いわき地区の炭鉱鉄道を訪ねる その1

 かつて地球は動かず、太陽や月などの地球以外の天体が地球の周りを回っていたと考えられていたが、コペルニクスの観測により、地球が太陽の周りを回っているいわゆる地動説が唱えられ、地球や宇宙に関する見方が一変した。この現象をコペルニクス的転回というそうだ。新型コロナウイルス感染症の蔓延で遠くに旅行に行けなくなってはや2年、一向に終わりの見えない状況で一旦遠くに行く考えはやめて足元の地元の良さを見つめてみようと思った。

 私が住む福島県いわき市は、歴史の長いお寺や神社もあるし、美味しい店もある、きれいな太平洋もある。冷静に考えたら結構なんでもあるじゃないかと思う。いろいろあるが、今回は産業遺産としての鉄道を巡ってみようと思う。かつていわき市は日本有数の炭鉱があった。大需要地である首都圏に近いという有利な条件があったから、炭鉱全盛期には相当栄えた。しかし1960年代からのエネルギー革命で炭鉱は衰退し、1976年の常磐炭鉱の閉山で歴史を閉じた。しかし、現在でも炭鉱の痕跡は多数残っている。また、かつて炭鉱と常磐線の駅を結んだ貨物線もあり、その痕跡を辿ってみるのも楽しそうだと思った。今回は常磐線の内郷駅から出発する。内郷駅は常磐線のいわき駅から上り電車に乗って最初の駅、最近建て替えられた駅舎はコンパクトながら使いやすい。近くには高校の他病院も多く利用客の多い駅である。

さようなら「大垣夜行」

 かつて、日本の鉄道網の整備が進んでいたが道路網が貧弱であった頃、陸上輸送の主役は鉄道であった。その鉄道の中でも長距離の普通列車の役割は非常に大きかった。1950年10月号の時刻表によると、東海道本線の東京から大阪までを走り通す列車はわずか15本で、そのうち特急列車が2本(「つばめ」、「はと」)、急行列車が8本(うち1本は「銀河」、そして普通列車が5本であった。所要時間は特急列車で8時間、急行列車で10時間、普通列車で13時間である。普通列車で13時間かかるので、その日のうちに大阪に到着する普通列車は5本のうち2本だけであとは夜行列車であった。この時期、東海道線のみならず、東北本線、山陽本線、鹿児島本線等主要幹線に夜行普通列車が走っていた。しかし経済成長とともにスピードや快適性が求められるようになって夜行普通列車は徐々にその数を減らしていく。1968年10月のダイヤ改正では、東京〜大阪間に1本だけ残っていた夜行普通列車が廃止されることが決まっていたが、格安で旅行したい利用者の声に押されて、運転区間は下りが東京発美濃赤坂行き、上りが大垣発東京行きの夜行普通列車として存続することになる。後に、下り列車も大垣行きになり、この列車は「大垣夜行」と言われて、格安で旅行をしたい人に熱烈に支持され、とくに「青春18きっぷ」とよばれる普通列車で乗り放題の切符が発売される夏休みや冬休みの時期には始発駅には「大垣夜行」に乗ろうとする人が何時間も前から座席を確保しようとする姿が見られた。
 私も高校生から大学生の時期、上り列車に何回か乗車した。座席がリクライニングしない狭いボックスシートでお世辞にも快適な列車ではなかったが、車窓に見える名古屋、豊橋、浜松、静岡などの夜景は美しかったし、行き交う貨物列車やトラックの姿に日本経済のエネルギーを感じることができた。夏であれば車内から朝日を見ることもできた。東京駅には4時42分の到着であった。冬だとまだ真っ暗であったが、プラットホームに降りて深呼吸するとそこは間違いなく朝のひんやりした冷たい空気があった。私が利用していた時期のこの列車の大垣発車時刻が22時4分であったから、今でも時計の針が22時4分を指しているとこの列車のことを思い出す時がある。
 「大垣夜行」は、1996年には特急型車両を使用し、全席指定となった「ムーンライトながら」になり、それまでとは格段に快適な列車になったが、夜行列車のコスト高や、「青春18きっぷ」発売時期以外の利用の減少もあり、2009年3月からは夏休みや冬休みの時期だけ運転する臨時列車になった。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で旅行や出張などの長距離移動が減り、鉄道会社が深刻な減収に陥る状況になったことと、使用されてきた車両が老朽化が進んだことが決め手となり、2021年3月のダイヤ改正で正式に廃止されることになった。私の青春時代の思い出のひとつが消えることは残念であるが、私の心の中にはこれからも「大垣夜行」の思い出は残り続けると思う。

机上旅行のススメ

 もうすぐ年末年始で旅行シーズンになりますが、今年は新型コロナウイルスの流行で旅行や帰省を見合わせるという人も多いと思います。旅に出るのが何よりの楽しみという方に、机上旅行で楽しむという方法をお勧めします。

 時はおよそ35年前、鉄道少年だった私には有り余るくらいの時間はなかったが、旅に出るだけのお金はなかったし、そもそも自由に行きたいところに行くだけの自由もなかった。しかし、家には地図と時刻表とノートと鉛筆があった。そう、マリー・アントワネットじゃないけれど、「パンがないのならケーキを食べればいい。旅行に行くのなら旅行に行った気分になればいい」ということで、時刻表と地図を手がかりに日本のいろいろな場所へ机上旅行に行くことにした。幸い、地図には日本の市町村や主な山や川、遺跡などが書かれていたし、時刻表には国鉄(当時)の時刻ばかりではなく、主要な観光地に行く私鉄や路線バス。大都市圏の私鉄や地下鉄(初電や終電の時間しかわからなかったが)、国内航空路、フェリー航路などのほか、主なホテルや旅館、ユースホステルなどのほか駅弁などの情報が載っていて、これだけあれば大まかな旅行の計画は立てられた。今は地図と時刻表とノートと鉛筆に加えてスマートフォンやパソコンもあるから、当時では探しようもなかった都市部の私鉄の詳細な時刻表や、観光地と無関係な路線バスの時刻を調べることもできるし、観光地に行かなくても写真や動画を見ることができるし、どんなお土産があるのか、どんな郷土料理があるのかもすぐにわかるようになった。今年の年末年始は生活圏内でお金を使い、机上旅行を楽しむのもオツなものだと思います。

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