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カテゴリー「クルマ・ドライブ」の52件の記事

2011.11.16

私がクルマに望むこと

 私が乗っているスバル・フォレスター(SG-A型、XT、AT)の走行距離がいよいよ15万kmを突破した。今のところ、大きなトラブルはないが、走行距離が走行距離だけに今後に関しては要注意だろう。大きなトラブルが発生しない限りまだまだ乗り続けたいと思っているが、不意の別れは覚悟しておくようにしている。

 そんなわけで、最近自動車の雑誌や各自動車会社のホームページはよく見るようになった。国内の自動車各社はかなりの数の自動車を販売しているが、その中でほしいなと思えるクルマは意外と少ない。どんな条件のクルマが好きなのか、ちょっと挙げてみた。

 ①走って楽しいこと
 ②長距離の旅行に耐えられること
 
 最近の国内のクルマ市場は、走行性能よりも居住性や経済性を重視する方向に向かっているが、やっぱり走行性能も大事だ。そんなにすごいスピードが出なくてもいい。日常的な場面で、走る、曲がる、止まる性能がしっかりとしたクルマに乗りたい。じつは、それこそ、衝突安全ボディやエアバックよりも大事なことなんだと思う。クルマの中には、操作しているという感覚が希薄すぐるクルマもあるし、居住性を重視したあまり走行性能が怖いクルマもあった。そういうクルマは私はちょっといただけない。

 長距離の旅行に耐えられる車は、先述のクルマの基本性能がしっかりしていることに加えて、できのいいシート、豪華ではなくとも、使いやすいインテリア、視界の良さなどが必要であろう。これも、今まで乗った車の中には、このシート、短距離専用なのかと思うようなひどいシートを持ったクルマもあった。

 今乗っているクルマは、これらの条件をほどほどに満たしている。だから、15万km過ぎても気に入っているのだ。次にどんなクルマと出会って、どんな場所に行けるか、いまからワクワクしている。その前に、今のクルマとたくさんの景色を見てみようと思う。頼りにしていますぜ、相棒!

2011.03.16

ホンダとgoogle、グッジョブ!

まずは以下のリンクをご覧ください

http://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_traffic.html

ホンダとgoogleがこのようなマップを作りました。このマップは、前日のカーナビのログを解析して、前日自動車の通行のあった道路(主要な道路に限る)を青色、通行のなかった道路を灰色で示したものです。今回の東北関東大震災とそれに伴う大津波、原発の放射能漏れによって、通行不能の道路が多数発生しています。このマップを見ると、通行可能な道路が一目でわかります。通勤、買い出し、避難などでクルマを利用する際にご活用ください。

 (なお、灰色で示された道路が全て通行不能というわけではありません)
 表示されるのは日立市・那須烏山市以北で、矢板市・会津若松市より東の地域です

2011.01.25

9回目の誕生日

 間もなく私のクルマ、スバル・フォレスターの9回目の誕生日になる。誕生日を前に、近くのスバルのディーラーにドック入りして車検を済ませることにした。9年間で走行距離は14万2000㎞(うち、先のオーナーが1年4カ月、3万1000㎞)になる。オイル交換やオイルエレメント交換のほか、油脂類の交換、点灯しなくなったマップランプの電球の交換、それと重量税、自賠責保険料などの出費は想定済みであったが、フロントブレーキのローターの編摩耗とそれに伴うブレーキパッド交換、オルタネーターの電圧低下のための交換があった。想定街の出費だが、中古部品を使って修理した。中古部品を使うとはせこいと思われそうだが、走行距離を考えれば今更新品の部品を使うまでもないだろう。とにかくこれで、ひと安心、老朽化が進む愛車だが、まだまだ大事に乗っていきたい。

2010.11.10

東海道2010 その14(終)

【8月15日 静岡県三島市~東京都中央区】

 7時過ぎに朝食をとるために1階の食堂に行く。朝食にはそれはそれは立派なアジの干物が出た。食べてみると柔らかくてすこぶるうまい。人は見かけによらないけれど、ホテルも見かけに反してなかなか良かった。朝食後三嶋大社に散歩がてら参拝に行く。三島はとても水がきれいな町で、小川の水は透き通っていた。そこを鴨の群れが気持ちよさそうに泳いでいた。見ている私も暑さを忘れ気持ちが爽快になった。

Photo

 8時過ぎに三島を出発する。市街地を抜けるとすぐに箱根の山の登りにさしかかる。さすがに「箱根の山は天下の険」と歌われただけあって、かなりの急こう配である。しかも、坂を登る途中から、周囲は牛乳瓶の中を走っているような濃霧になってきたう。箱根峠をこえて、芦ノ湖畔に着いたが、一向に霧が晴れる気配はない。箱根関所跡なども見ようと思っていたが、この霧ではどうしようもない。諦めて先を急ぐ。ここから国道1号線から離れ、旧東海道を走る。甘酒茶屋まで降りたら急に霧が晴れた。私はここで休憩をすることにした。抹茶を飲みながら茶屋のおばさんと話をする。かつて、徒歩で旅をしていた頃は、このような茶屋の存在はどれだけありがたかっただろうか。

Photo_2

 箱根湯本から国道1号線に戻り、小田原市街を通る。ここから平塚にかけての国道1号線は私の大好きな道だ。片側1車線で広い道ではないが、湘南らしい明るい風景が楽しめる。ところどころに松並木があったり、たまに海が見えたりして、運転していて楽しい道である。
 昭和の大政治家である吉田茂をはじめ、伊藤博文、大隈重信らの別荘がある大磯でクルマをとめる。ここは、かつては東海道8番目の宿場でもあった。ここの公園内に町営の博物館があったのでみてみた。今回は海水浴に関する展示をしていた。大磯は明治時代、医師の松本順によって日本で最初の海水浴場が開かれたところである。昔の水着や風俗に関しての展示はとても面白かった。

 大磯を出ると、国道1号線は混んでいた。混雑を避けようと、より海側をはしる国道134号線に出てみたが、これは大失敗だった。茅ヶ崎西ICから新湘南バイパスを走った。横浜市に入るとクルマの流れが悪くなる。少々いらいらしたが、横浜新道に入ると、スムーズに流れるようになった。横浜新道から首都高速道路三ツ沢線に入り、横浜駅の北側をかすめ、首都高速1号羽田線に入る。羽田線は思ったよりも空いていて、100km/h位の速度でクルマが流れている。羽田空港の滑走路を一瞬かすめ、平和島PAには11時45分ごろ着いた。この時間に着いたのは狙ってのことであった。トイレを済ませ、11時55分ごろクルマに戻り、NHK第一放送が聴けるようにクルマのオーディオのスイッチを入れた。全国戦没者追悼式典のラジオ放送を平和島PAで聴くためである。ラジオに合わせて1分間の黙とうをして、天皇陛下のお言葉を拝聴する。亡き祖父が何度も言っていた言葉を思い出した。「戦争だけは絶対にしてはいけないぞ」。
 天皇陛下のお言葉が終わると、静かにクルマを発進させた。次の鈴が森ランプで首都高速を降り国道15号線に出る。京浜急行青物横丁駅から北品川駅にかけてが最初の宿場である品川宿である。
 品川駅を過ぎるといよいよラストスパート。お盆のためか、スムーズに進む。泉岳寺、浜松町と飛ぶように進み、いつの間にか新橋である。山手線や京浜東北線の電車で何度となく走ったとところであるが、クルマで走るのはやっと5回目くらいであろうか。人通りの多い銀座を過ぎると、12時30分少し過ぎに日本橋に到着した。これで、京都三条大橋から東京日本橋まで、一部寄り道をしながら現代の東海道を走りきったことになる。

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2010.11.08

東海道2010 その13

【8月14日 静岡県静岡市~静岡県三島市】

 用宗で昼食を済ませると、静岡ICから東名高速道路に乗り、静岡市内をショートカットし、次の清水ICで降りる。清水はかつて東海道53次18番目の宿場である江尻宿である。
 高速道路のように立派なバイパスから、旧道に移り、JR興津駅の先で身延へ向かう国道52号線に入る。東名高速道路をくぐってすぐに、右側の山に向かう細い道に入る。この道をしばらく走ると、小さな峠がある、ここがさった峠である。小さな駐車場にクルマを止め、ミカン畑の中をモノレールに沿ってしばらく歩くと、木製の展望台がある。ここに立つと、太平洋と山々のわずかな隙間にJR東海道本線、国道1号線、東名高速道路が身を寄せ合うように並んでいる。はるか向こうには富士山が見えるはずなのだが、雲がかかって見ることはできない。しばらくの間この絶景を楽しんでいた。楽しんでいるうちに妙な考えが浮かんでいた。ここを走る東海道本線、国道1号線、東名高速道路、そして下の写真の左側の山中を走っている東海道新幹線はいずれも日本の大動脈といえるものである。もし私が日本に敵対する国の政治指導者なら間違いなくここを爆破するだろう。そうすれば日本の人と物の流れを麻痺させることができる。本気なのか冗談なのか自分でもわからなくなってきた。

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 さった峠を出て、由比まではひたすら細い山道だ。由比も山と海に挟まれた細長い平地なので、平坦な道ながら狭い。由比が16番目の宿場、次の蒲原(かんばら)が15番目の宿場。数字の上からも江戸がだんだん近くなったことがわかる。

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 富士川を長い橋で渡ると、富士市の南の郊外を進む。新幹線の新富士駅の先で国道1号線から離れ、吉原を走る。ここが富士市の旧市街で、14番目の宿場である吉原宿があった場所でもある。目の前に富士山があるが、中腹から上は雲に覆われに見えない。その富士山を左に見ながら住宅地の中を走ると岳南江尾駅に着く。ここにクルマを止めて、吉原駅までの岳南鉄道に乗ることにする。古びた岳南江尾駅には丸っこい赤い前頭部に白い帯をしめた電車と、同じく丸っこい緑の前頭部に白い帯をしめた電車が停まっていた。私は赤いきつねと緑のたぬきというカップ麺を連想してしまった。こんどの発車は赤いほうである。かつて京王井の頭線を走っていた電車である。相当古い電車であるが、それなりに手が入っていて、あまり見ずぼらしくはない。私のほかに数人のお客を乗せて発車した電車は、駅ごとに徐々にお客を増やす。吉原の中心部である吉原本町でお客が入れ替わる。ここを過ぎると工業地帯になる。日産車などのトランスミッションを製造するジャトコ、日本食品化工、大昭和製紙などの工場が見える。終点の吉原駅の周囲は工場や倉庫、それらに勤める人向けのアパートなどが多かった。東海道本線と岳南鉄道の乗り換え駅だから店くらいあるだろうと思っていたが、折り返しの電車を待つ40分ほど身の置き場に困った。しょうがないので、頻繁に行き来する東海道本線の電車を見て過ごした。
 岳南江尾駅に戻り、県道22号線を三島に向けて進む。ぎりぎり2車線になる程度の狭い道だが、ここを走るのは勝手知った地元の人ばかりなのだろう。私はそのペースに合わせて結構なスピードで走る。周囲は住宅地に田畑が混じる。そのようなところをしばらく走り、いったん国道1号線に合流して、すぐ分岐する。JR下土狩駅付近からは交通量が増え、流れが悪くなるが、ここまでくれば三島はもうすぐ。JR三島駅近くのホテルには4時30分ごろに着いた。

 ホテルを見上げてつぶやいた。「何の因果でこんなところに泊るのか」そう言いたくなるくらい古いホテルだった。もっとも中に入るときれいで、フロントの方の対応もよかった。部屋の水回りは、さすがに古さは隠せないが、最初に外観を見たときのショックに比べればなんてことはない。しばらくホテルで休んで、三島駅から電車に乗り沼津に出た。沼津の駅前を歩きまわって、中華料理店でビールを飲みながらチャーハンを食べた。沼津は12番目、三島は11番目の宿場、明日の昼ごろには江戸の日本橋に着くだろう。この旅もいよいよ終わりが近づいた。

2010.10.31

東海道2010 その12

【8月14日 静岡県掛川市~静岡県静岡市】

 掛川を出発して、国道1号線を静岡市方面に向かう。山が両側から迫ってくると東海道53次の25番目の宿場町である日坂宿になる。古い建物が残されている。東海道の宿場町の場合、一定のパターンがあり、両側に山が迫り開発余地の少ないところは昔の面影が残されている場合が多い。関や藤川がそうである。ここを過ぎると東海道の難所の一つ、小夜(さよ)の中山の峠越えになる。私は国道1号線を外れ、狭い道に入り、急な坂を登っていく。スバルご自慢のボクサーエンジンは220馬力の馬力にモノを言わせてぐいぐい登っていくが、歩いて登るのは相当難儀なことだと思う。坂を登りきるとやや平たんな道になる。道の両側には茶畑と農家が点在するのどかな光景である。これで天気が良ければ鼻歌を歌いながらのドライブだが、掛川を出発する頃から降り出した雨が土砂降りに変わった。小雨なら風情があるが、土砂降りの雨はただただうっとうしい。

 小夜の中山の久延寺近くの駐車場にクルマを止め、雨が弱くなるのを待ったが、雨は一向に止む気配はない。土砂降りのせいかあたりはうす暗く、なんだか背筋が寒くなるような気がする。ここは江戸時代に東海道が定められる以前からの交通の難所で、西行の歌碑などがあるそうだが、この薄気味悪い気配に一刻も早くここを離れたくなった。とりあえず傘をさして駆け足で久延寺を参拝し、クルマを静岡方面に向け出発させた。しばらく走ると前方に近所のおじいさんが運転している軽トラックが見えた。夜道で人家の明かりを見つけたようなほっとした気持ちになった。つんのめるような下り坂を降りると24番目の宿場である金谷に着く。現在では、SLの運転で知られる大井川鉄道の乗換駅になっている。駅前で少し休憩して大井川に架かる橋を渡ると、島田市立博物館に着く。 

 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越される大井川」と歌に歌われたように、山や峠越えは厳しいけれど、足を前へ運び続ければ越えることができるが、川の場合はそうはいかない。東海道にはいくつもの大きな川があるが、江戸幕府は大井川や阿倍川には渡し船さえ認めなかった。蓮台や人足に肩車をしてもらって越えた。大雨の時期はこれらの川は川留めになって交通の大きな障害になった。博物館の展示物で面白かったのが、現在でも花嫁の髪型として生きている文金高島田が江戸時代に島田宿にいた女性に由来するものであるという部分であった。博物館の外には川越遺跡といって、大井川の川越にかかわる人足の番屋や川会所などが復元されている。ここだけ歩いていると江戸時代にタイムスリップしたようで面白い。いつのまにか雨がやんでいた。

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 島田から国道1号線で藤枝に進む。ここから先東海道は岡部宿、鞠子(まりこ)宿と日本坂の北側を回り込むようにして静岡に向かうが、私は焼津、大崩海岸、用宗と海側に道を進むことにする。私の職場に、静岡の大学で学んだ方がいて、大崩海岸は良いからぜひ行ってみるといいとアドバイスを受けたのである。地図で見ても山がほとんど垂直に海に落ち込む豪快な海岸で、地図を見るだけでわくわくしてくる。私にはもう一つ魂胆があって、焼津か用宗でおいしい魚を食べようと思っている。藤枝から焼津に向かう途中で給油をする。焼津港周辺で店を探すが、これだと思う店は見当たらなかった。焼津港を離れてすぐ、目の前に小高い山と海が迫ってきた。道は左右にくねりながら崖の上に出た。左は垂直に切り立つ断崖、右側は数十メートルしたに太平洋。わたしはこんな豪快な道路を見たことがない。これは予想外に面白いぞと思う。そんなところをしばらく走ると、トンネルがあり、トンネルの先は急カーブで道路が海上に架けられた橋になるところがある。ここは、大崩海岸の名の通り、非常にもろい岩肌で落石により被害が出ないようにするためだという。小さな駐車場があるのでクルマを止め写真を撮る。クルマを出ると眼鏡が一瞬で曇ってしまう。よほど気温と湿度が高いのであろう。間もなく用宗の町が見えてくる。ここはもう静岡市である。用宗港の近くの店で昼食にする。サバとマグロのづけがたっぷり載った丼を食べる。マグロはもちろんうまかったが、脂の乗ったサバがとてもうまかった。

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2010.10.28

東海道2010 その11

【8月14日 静岡県浜松市~静岡県掛川市】

 今日は昨日と違って厚い雲が垂れこめている。相変わらず暑いことには変わりがないが、直射日光がやわらぎ、湿度が上がったのでプラマイゼロといったところか。今日は7時45分ごろホテルを出た。旅行なのに毎日毎日早起きで、我ながら感心する。さすがにお盆の朝なのでまだクルマは少ない。国道152号線から県道に左折すると間もなく東名高速道路浜松ICに着く。ここから掛川までは高速道路を使用する。

 磐田ICを過ぎて間もなく渋滞が始まった。電光掲示板によるとこの先菊川IC付近で事故があるそうだ。磐田から菊川までは20km以上ある。これはまずいことになったと思うが、渋滞とはいえ完全に停止しているわけではない。少しずつ動いているので、とりあえず次の袋井ICを目指す。袋井IC近くになると再び流れがよくなった。しかし、ICを過ぎてすぐ今度はクルマの流れが完全に止まってしまった。後悔先立たず、このままクルマの流れに身を任せるしかないだろう。

 掛川ICを降りると、「ヤマハリゾートつま恋」の大きな看板がある。野球の聖地は甲子園、小説家の登竜門が芥川賞と直木賞なら、フォークソング・ニューミュージックの聖地がつま恋で、登竜門がここで行われる「ヤマハポピュラーソングコンテスト」であった。ここから出た歌手は、中島みゆき、岡村孝子、チャゲ&飛鳥、長淵剛など、長い期間活躍した人が多い。JR東海道本線と東海道新幹線のガードをくぐり、掛川の城下町に入っていく。掛川は、山内一豊が豊臣秀吉から大名に取り立てられた際に与えられた領地である。後に彼が高知に転封になると、松平家、北条家、井伊家、小笠原家などが大名としてこの地を治めた。また、掛川の城下町は東海道53次の26番目の宿場町であった。

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 掛川は城下町の保存に努めていて、大手門や内堀代わりであったと思われる小川の周辺など、道路を石畳にしたり、電線を地中化したりしていた。天守は再建されたものだが、二の丸御殿は幕末に建築されたものが現在も残されている。天守から城下の眺めを楽しむ。さほど大きい城ではないから、城のつくりが手に取るようにわかるのが面白い。二の丸御殿では、高校の日本史の先生上がりと思われる方が無料でガイドをしていたので、いろいろお話を聞く。祭の道具に関する展示があったので、それを見ながら、江戸時代の祭は、がちがちの身分制だった江戸時代において、無礼講で楽しめる数少ない機会だったという話を聞いて、なるほどと思う。城のあちこちに白いユリが咲いていた。蒸し暑い掛川城に、白いユリは不思議な気がしたが、すこしだけさわやかな気分になった。

2010.10.19

東海道2010 その10

【8月13日 静岡県湖西市~静岡県浜松市】

 東海道53次の31番目の宿場である新居宿は、箱根と同じように関所が設置されていた。主要な街道の関所の中では、唯一当時の建物が残っている関所である。

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 関所の駐車場にクルマを止める。関所の建物はさすがにものものしい。とはいえ、正当な通行手形を手に入れれば、庶民でもお伊勢参りなどの旅ができたのだから、江戸時代の日本の交通制度は思いの外進んでいたと評価していいのかもしれない。面白いことに、男性と女性の身分改めは別々の場所で行われた。男性は表のお白州で通行手形と人相を調べられたが、女性は関所の建物の裏側で女性(関所の役人の妻など)によって改めが行われた。「入り鉄砲に出女」という言葉があるが、江戸にいる諸大名の妻などが許可なく国元に帰ることには幕府はずいぶん神経をとがらせていたのだろう。
 関所から宿場はすぐである。ここにも当時の旅篭が残っていた。当時のメニューとして、大きなウナギのかば焼きが皿の上に乗っている。正真正銘静岡産天然ウナギである。相手はろう製のイミテーションなのだが、ごくりとつばを呑む。今晩はウナギを食べようと思った。

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 江戸時代は新居宿から次の舞阪宿までは浜名湖を船で渡ったが、現代は国道1号線、東海道本線、東海道新幹線の橋が並んでかかっている。前が詰まって、のろのろと進む私のクルマを東京方面に向かう新幹線が猛スピードで追い抜いていった。リゾートマンションが立ち並ぶ弁天島のコンビニで小休止して、舞阪に向かう。ここから国道を離れ旧道に入る。道の両脇には松並木がある。こちらの松並木はやさしげで女性的なたたずまいである。しばらく走ると国道1号線に合流する。前にスズキ・ワゴンR、後ろにスズキ・ジムニー、隣の車線にはスズキ・スイフト、少し離れた所にもスズキ車が見える。スズキ車のオン・パレードである。それもそのはずで、ここ浜松市はスズキ自動車のお膝元である。東海道本線の線路の向こうには、本社と工場が見える。やがて、東海道新幹線の線路が見えてくる。道路が渋滞しているから、線路の様子がよく見える。現在、東京と京都、大阪を結ぶもっとも主要な交通機関といったら東海道新幹線だろう。16両編成、定員1323人の列車が最短3分間隔で走っている様子をみると、あらためて東海道ベルト地帯の圧倒的な人口と産業の集積を実感する。

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 ホテルには4時前についた。ゆっくり風呂に入って、洗濯をして、7時過ぎまでホテルでのんびりした。駅前に出て、しらす干しとうざく(うなぎときゅうりの酢の物)でビールを飲んだ。ウナギは酢と合わせることでさっぱりとしてビールによく合った。

2010.10.16

東海道2010 その9

【8月13日 愛知県岡崎市~静岡県湖西市】

 岡崎は徳川家康が生まれ育った町であり、岡崎藩(本多氏→水野氏→松平氏→本多氏)の城下町である。また、東海道53次の38番目の祝までもある。味噌煮込みうどんや味噌カツに欠かせない八丁味噌は岡崎の特産である。岡崎の町を過ぎると、ようやくクルマの流れも良くなる。両側に丘陵が迫ってくると、間もなく藤川であある。国道1号線から外れると、道の両側に松並木がある。東海道の松並木がある。名鉄本線の踏切を渡り、松並木が途切れると37番目の宿場である藤川宿である。

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 地元の人が作ったと思われる、小さな資料館があり、そこのクルマをとめる。資料館を見学した後、宿場町を歩く。かつての脇本陣の跡は、石垣だけが残るが、工業が盛んな三河に、これだけ過去の雰囲気をとどめる宿場町が残っていることに感謝すべきであろう。藤川小学校前の高札場や、松並木まで歩いて往復してきた。松並木の下を歩くと心なしか風がひんやりとするように感じられる。東海道の松並木は、江戸時代の旅人を夏の直射日光から守る大切な役割を果たしたことだろう。

 藤川を出発して国道1号線に戻る。国道1号線は名鉄本線の線路に沿って走る。本宿駅を過ぎてすぐに、愛知県立岡崎養護学校の看板があった。「1リットルの涙」の木藤亜也が通った学校である。もっとも、彼女は昭和時代の人物で東海道とはあまり関係ないが。
 東名高速道路の、音羽蒲郡ICを過ぎてすぐに、国道の南を走る旧道に入る。狭い旧道を走ると、36番目の宿場である赤坂宿、そして有名な御油の松並木、35番目の宿場である御油宿がある。御油の松並木のそばの空き地にクルマを止めて、松並木を見る。ここの松並木は天然記念物に指定されている。

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 それにしても、なんて立派な松並木なのだろう。見ていて惚れ惚れする。男性的で豪快な枝ぶりである。それと素晴らしいのは、この景観を維持するために、あえて車道を狭くしたという地元の人々の英断である。車道を広くしたら確かに通行は便利だろうが、そんなことをしたら、景観は台無しだし、車のタイヤに松の根元を踏みつけられたら、松並木の維持もおぼつかないだろう。もしかしたら、何の得にもならない松並木など伐採して道を広げろなどという暴論が出るかもしれない。歴史遺産を守るためには多少の不便を甘受することはやむを得ない場合がある。松並木を21世紀に残した人々には本当に敬意を表したい。
 豊橋市内に入ると、国道から離れて、旧街道を走る。伊奈駅を過ぎると国道に戻り、JR飯田線を跨ぐと豊橋の市街地に入る。豊橋市役所近くの交差点で、国道1号線は左に曲がる。既に午後1時を過ぎ、空腹だが、なかなかここだという店が現れない。さんざん迷った挙句、次に飲食店が見えたら問答無用で入ろうと決めた。すると、福島県に本部のあるラーメンのチェーン店が見えた。ここまで来てチェーン店に入らなくてもと思うが、自分で決めたルールだから、守ることにする。
 豊橋を過ぎると、二川、JR二川駅の周囲が、33番目の宿場である二川宿である。ここからは、旧東海道から離れるが、新所原~鷲津と、JR東海道本線沿いのルートを行く。新所原駅の手前で、愛知県から静岡県に入った。畑の中に住宅地と工場が点在する丘陵地をしばらく走り、東海道新幹線をくぐると間もなく新居宿である。

2010.10.11

これかなぁ

ブログネタ: 今年の”カー・オブ・ザ・イヤー”どれだと思う?参加数拍手

 ノミネート車から選ばれた10ベストカーは以下の通り
トヨタ マークX
日産 マーチ
ホンダ CR-Z
マツダ プレマシー
スズキ スイフト
フォルクスワーゲン ポロ
メルセデス・ベンツ Eクラス・セダン(E350 BlueTEC アバンギャルド)
BMW 5シリーズ セダン/ツーリング
プジョー RCZ
ジャガー XJ

 この10台の中から、日本カー・オブ・ザ・イヤーを選ぶとなると…迷いますね。最後まで残ったのはホンダ・CR-Zと、フォルクスワーゲン・ポロの2台。ホンダ・CR-Zは、ハイブリッド車にして、スポーティモデル。一方、フォルクスワーゲン・ポロは徹底的に効率化、ダウンサイズしたガソリンエンジンを搭載したコンパクトカー。そんなことで、この両者とも方法は違いますが、地球環境問題、エネルギー問題への対応とクルマを走らせる喜びを両立させることを目指した、きわめて高い理想を掲げたクルマです。どちらも選びたいところですが、私はハイブリッド車の可能性を広げた、ホンダ・CR-Zを選びたいと思います。

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